法座(法座概要)

2014年11月

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1日(土)
朝の仏教講座 7:00 ~ 8:20 ※晨朝に引き続き40分間
 末本 弘然/ブディストライター 月刊誌『御堂さん』編集委員(大阪教区豊島南組正福寺)
 母の"老病死"
土曜講座 13:30 ~ 15:00
 西上 義昭/本願寺派布教使(大阪教区三郡組西教寺)/そのまま

【朝の仏教講座 】 1日(土) 7:00~8:20
「 母(はは)の"老病死(ろうびょうし)" 」
ブディストライター・月刊誌『御堂さん』編集委員  末本 弘然(すえもと こうねん)
今年8月、私の母は数え年99歳でこの世での生涯を終え、お浄土に帰っていきました。子である私にとって、母がどういう存在であったかは私が生きる日々の中で新たな気づきを催しながら、次第に明らかになってくることでしょうが、すでに母は晩年、人間のありのままの姿を晒して私に老病死の何たるかを示し、同時に、帰すべきところが何処かを教えてくれました。母を通して、仏さまとお浄土を味わいたいと思います。

【 土曜講座 】 13:30 ~ 15:00
1日(土)「 そのまま 」
西上 義昭(にしがみ ぎしょう)(大 阪)
この私に、救われる方法を示してもダメだと見抜いて下さった仏さま。「頑張れ」ではなく「大丈夫」と言って下さる仏さま。
努力すれば報われるという教育を受けてきた中で、勝ち組、負け組と振り分けられて、何か閉塞感を感じる今日この頃。
今一度「そんなに力を入れなくてもいいよ。」とそのままの私を認めて下さる仏さまを聞かせて頂きたいと思います。
2日(日)
日曜講演 10:30 ~ 12:00
 平戸 昭乗/本願寺派布教使(大阪教区豊島南組源福寺)/師いわく、「分からんから ありがたい」
【 日曜講演 】 10:30 ~ 12:00
2日(日)「 師(し)いわく、『分(わ)からんから ありがたい』 」
平戸 昭乗(ひらと しょうじょう)(大 阪)
私たちは長年お聴聞をさせていただいておりますと、浄土真宗の御法義をある程度理解したつもりになっているのではないでしょうか。または、お聴聞を重ねると御法義が分かるようになり、そうすれば、ありがたくもなっていくと、何となく思っているのではないでしょうか。
親鸞聖人の御法義は、私が分かっていく御法義ではなく、阿弥陀さまに分かっていただいている御法義であります。ダラダラと仏さまに甘えるのではなく、思いっ切り安心させていただきましょう。

3日(月)
4日(火)
5日(水)
廣輪会(報恩講)
 法要 11:00~11:30/(調声・法話)/本願寺津村別院輪番
 法座 13:30~14:30/木下慶心輪番
6日(木)
7日(金)
8日(土)
土曜講座 13:30 ~ 15:00
 塚田 博教/本願寺派布教使(大阪教区豊島北組教學寺)/妙好人について
【 土曜講座 】 13:30 ~ 15:00
8日(土)「 妙好人(みょうこうにん)について 」
塚田 博教(つかだ ひろのり)(大 阪)
浄土真宗のご門徒の中で妙好人と呼ばれる方がいます。仰誓師の『妙好人伝』から始まった呼称ですが、これが称号のように扱われることには違和感を感じます。なぜなら、個々の妙好人と呼ばれる方々はそれぞれの生きた時代において、自らの煩悩と取っ組み合い、ついに阿弥陀さまのお慈悲の働きによって、心開かれていった方々であり、決してそれは妙好人と呼ばれるためのものでは無かったのです。しかし、その姿こそが多くの人々に法味を伝えることになります。自信教人信の体現者としての妙好人についてお話させていただきます。
9日(日)
日曜講演 10:30 ~ 12:00
 戸川 教宏/本願寺派布教使(大阪教区交野組勝圓寺)/御恩報謝の身となる
一味会 13:30~15:30
 山本 攝叡
 星野 親行
【 日曜講演 】 10:30 ~ 12:00
9日(日)「 御恩報謝(ごおんほうしゃ)の身(み)となる 」
戸川 教宏(とがわ のりひろ)(大 阪)
私たちは、阿弥陀さまのおかげにより、お慈悲をよろこべる人に育てていただきました。そして、仏の願いのお力で○○をすると感じながら生活をする身ともなったのです。ご報謝として行動するということは、してもしなくても、往生ということには関係が無いということです。不必要なことをよろこんでするという身と何故に阿弥陀さまは私を育てられたのか、それは必要だから責任があるからと生きてきた生き方への、深い慈悲のいたわりであります。阿弥陀さまに開かれる御恩報謝の生活をお聞かせいただきましょう。

10日(月)
津村別院永代経
 13:15~ 法話  14:00~ 法要
 安方 哲爾/本願寺派布教使(大阪教区南郡組正満寺)/お慈悲の宗教
【 永代経法要 】 10日(月) 13:15~
「 お慈悲(じひ)の宗教(しゅうきょう)
安方 哲爾(やすかた てつじ)(大 阪)
浄土真宗は阿弥陀さまのお慈悲の宗教です。阿弥陀さまは「あなたが救われないのなら、私もお悟りにいたることが出来ない」と言われました。そのことをお念仏の先輩方は自分の親に喩えて「親様。親様」と喜ばれました。
しかし、人間の親には無条件で子を愛するこころと、子どものことを思って叱る心があります。親である以上、子どもを一人前にしなければならないと言う責任があります。その親心を通して、また阿弥陀さまのお慈悲を窺いたく思います。
11日(火)
津村別院報恩講 午前7時~・午前10時~・午後1時30分~
 11日逮夜~13日逮夜
  片江 哲海/佐賀教区神埼組西福寺/いま、たっているところ
12日(水)
津村別院報恩講 午前7時~・午前10時~・午後1時30分~
 11日逮夜~13日逮夜
  片江 哲海/佐賀教区神埼組西福寺/いま、たっているところ
13日(木)
津村別院報恩講 午前7時~・午前10時~・午後1時30分~
 11日逮夜~13日逮夜
  片江 哲海/佐賀教区神埼組西福寺/いま、たっているところ
14日(金)
津村別院報恩講 午前7時~・午前10時~・午後1時30分~
 14日晨朝~16日日中
  相馬 一意/東京教区茨城西組西光寺/本願力回向のみ教え
15日(土)
津村別院報恩講 午前7時~・午前10時~・午後1時30分~
 14日晨朝~16日日中
  相馬 一意/東京教区茨城西組西光寺/本願力回向のみ教え
16日(日)
津村別院報恩講 午前7時~・午前10時~・午後1時30分~
 14日晨朝~16日日中
  相馬 一意/東京教区茨城西組西光寺/本願力回向のみ教え
17日(月)
18日(火)
19日(水)
20日(木)
21日(金)
22日(土)
土曜講座 13:30 ~ 15:00
 山本 攝叡/本願寺派布教使(大阪教区中島東組定専坊)/清浄光明ならびなし
【 土曜講座 】 13:30 ~ 15:00
22日(土) 「 清浄光明(しょうじょうこうみょう)ならびなし 」
山本 攝叡(やまもと せつえい)(大 阪)
『讃阿弥陀仏偈和讃』の第五首。私たちがいつも『正信偈』に続いてお勤めする親鸞聖人の詩(うた)を味わってみます。「ならびなし」というのは、私たちが考える「第一番」、群を抜いて抜きん出ていると言う意味ではないでしょう。「遇斯光」、「この光に遇う」と言うのも、向こうから照らす光に、いま私が向き合っている・・・の意味ではありません。普段聞き慣れている言葉を、あらためて味わってみたいと思います。

23日(日)
日曜講演 10:30 ~ 12:00
 江波 正信/本願寺派布教使(大阪教区川北組専光寺)/この世の思いで ※森・石山講
森・石山講 13:30~15:30
 江波 正信/本願寺派布教使(大阪教区川北組専光寺)
【 日曜講演 】 10:30 ~ 12:00
23日(日)「 この世(よ)の思(おも)いで 」
江波 正信(えなみ しょうしん)(大 阪)
讃題 「不可思議の 弥陀の誓いなかりせば 何をこの世の思いでにせん」
讃題は、曹洞宗の禅の修行僧であった良寛さんの晩年の歌とされています。浄土真宗の盛んな土地柄で一生を終えた良寛さんには御本願を喜ぶ歌がたくさんあります。
「この世の思いで」は御本願に出会ったこと以外には口にするほどのものはないとの強い思いが出ています。良寛さんは1831年になくなっています。近代の文化に大きく関わった福沢諭吉が生まれる3年前のこと、一茶とほぼ同じ時代を生きています。
24日(月)
25日(火)
26日(水)
27日(木)
28日(金)
29日(土)
土曜講座 13:30 ~ 15:00
 野村 康治/本願寺派布教使(大阪教区中島東組瑞松寺)/一切衆生の心想のうちに入りたまふ
【 土曜講座 】 13:30 ~ 15:00
29日(土) 「 一切衆生(いっさいしゅじょう)の心想(しんそう)のうちに入(い)りたまふ 」
野村 康治(のむら こうじ)(大 阪)
『仏説観無量寿経』第八像観より、講題のご讃題を頂き、如来の法界身のおはたらきのお心を窺わせていただきます。
法律や社会的現実にしらされてある「いのち」の尊厳と、阿弥陀さまがめあてとされ願われてある「いのち」に気づかされる人生の中で知らされてくる尊さについてお取次ぎさせていただきます。

30日(日)
日曜講演 10:30 ~ 12:00
 都呂須 孝文/本願寺派布教使(大阪教区島下組光明寺)/遠く宿縁を慶ぶ
【 日曜講演 】 10:30 ~ 12:00
30日(日)「 遠(とお)く宿縁(しゅくえん)を慶(よろこ)ぶ 」
都呂須 孝文(とろす こうぶん)(大 阪)
私共が仏法に遇うことは、余程の御縁がなければ仏法を聞くことが出来ません。それが今出遇っているということは、気の遠くなるような過去からの縁が重なりあってのことでしょう。そのさまざまな御縁をよろこぶことを宗祖親鸞聖人が示されたと思います。