法座(法座概要)

2015年08月

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1日(土)
朝の仏教講座 7:00 ~ 8:20 ※晨朝に引き続き40分間
三上 章道/本願寺出版社前編集長(滋賀教区大津組福賢寺)/合掌ができる社会へ
土曜講座 13:30 ~ 15:00
植木 政隆/本願寺派布教使(大阪教区島上北組速證寺)/心豊かな生き方
【朝の仏教講座 】1日(土) 7:00~8:20
「 合掌(がっしょう)ができる社会(しゃかい)へ 」
本願寺出版社前編集長/三上 章道(みかみ しょうどう)
15年ほど前に「合掌ができない(知らない)子ども」に出会いました。それは大人の世界にも拡がっていました。合掌は、浄土真宗の教えを聴く基本の動作であり、その状況に対して僧侶として反省しました。また、合掌は▽自己を見つめる▽他への思いを至らす▽感謝の気持ちを表す行為でもあります。合掌がないということは▽自己中心▽他への関心を持たない▽感謝の気持ちが薄いことにつながります。まさに現代社会の姿がそこにあります。そのような現代社会に浄土真宗が大きく関わっており、今こそ「合掌ができる社会」が求められています。
【 土曜講座 】 13:30 ~ 15:00
1日(土)「 心(こころ)豊(ゆた)かな生(い)き方(かた) 」
植木 政隆(うえき まさたか)(大 阪)
各地を歩いて出あった人の中には、ストレス社会と言う人も有ります。だからこそ、私たちは何らかの救いを求めて生活をしているのかも知れません。救いと言っても様々で、どの宗教でも救いを説きます。また、宗教とは関係無しに救いに出あう事も有ります。ホンモノの救いに出あうと、豊かな心で日々の生活が出来ます。愚痴・迷い・不安な心は誰もが持っていますが、親鸞聖人が伝えてくださった阿弥陀如来の救いに出あうと、ひるがえされる(転ずる)働きにより『心豊かな生き方』が出来るのです。

2日(日)
日曜講演 10:30 ~ 12:00
野世 眞隆/本願寺派布教使(大阪教区住吉組光陽寺)/生死いづべき道
【 日曜講演 】 10:30 ~ 12:00
2日(日)「 生死(しょうじ)いづべき道(みち) 」
野世 眞隆(のせ しんりゅう)(大 阪)
人はみな年老い、病にかかり、またいずれ必ず死んでいく、これは頭では理解しています。しかし、自らの身の上で認識しているかと言えば、なかなか難しい。言い換えれば、私たちは日々、命の存在が当たり前の中で生き、その有難さに気づかずに生きているのかも知れません。ところが身近な人が突然に亡くなってしまったりすると、あらためて深く考えさせられます。釈尊が御出家をされた経緯は、まさに人の老病死を目の当たりにされた結果、そう考えれば、仏教の原点も老病死の解決そのものであり、その道を親鸞聖人は「生死いづべき道」と示されました。その心を味わいます。
3日(月)
4日(火)
5日(水)
6日(木)
7日(金)
8日(土)
土曜講座 13:30 ~ 15:00
神戸 峻乗/本願寺派布教使(大阪教区天野北組西教寺)/帰命無量寿如来 南無不可思議光
【 土曜講座 】 13:30 ~ 15:00
8日(土)「 帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい) 南無不可思議光(なもふかしぎこう) 」
神戸 峻乗(こうべ しゅんじょう)(大 阪)
『正信偈』冒頭のこの句には特別の意味があります。私たち真宗門徒は、「無量寿如来」に「帰命」して生きているからです。しかし「無量寿如来に帰命する」とはどういうことでしょうか。そしてそれはどう確かめられるのでしょうか。当たり前のようなことですが、厳しく自分の営みを問えば、決して当たり前ではありません。親鸞聖人のお言葉で、共にそのことを確かめましょう。
9日(日)
日曜講演 10:30 ~ 12:00
味府 浩子/本願寺派布教使(大阪教区島中南組常願寺)/後生の一大事~無常ということ~
【 日曜講演 】 10:30 ~ 12:00
9日(日)「 後生(ごしょう)の一大事(いちだいじ) ~無常(むじょう)ということ~ 」
味府 浩子(あじふ ひろこ)(大 阪)
現代では「一大事」は「一番大切なこと」、または「大事件」という意味で用いています。“今”の私にとっては「後生」より「現世」が「一大事」ですか? 蓮如上人は『後生の一大事』とおっしゃいます。『無常の風きたりぬれば・・・』は、私の確かだと思っていた物の見方が確かでなかったと気づかされることでしょう。蓮如上人の“白骨の御文章”を味わいつつ、混迷の時代といわれる現代に依り所となるお念仏の道を窺ってまいりたいと思います。
10日(月)
11日(火)
12日(水)
13日(木)
盂蘭盆会法座 13日(木)晨朝 ~ 16日(日)日中
西村 信也/本願寺派布教使(東京教区神奈川組西法寺)/『阿弥陀経』のこころ
【 盂蘭盆会法座 】 13日(木)~16日(日)
「 『阿弥陀経(あみだきょう)』のこころ 」
西村 信也(にしむら しんや)(東 京)
祇園精舎を後にしようとする文殊菩薩が、舎利弗に法を説きます。その法を了解した舎利弗は「文殊菩薩の歩む道は、岩山の道が平に変り、イバラの道がきれいな花へと変わります。」と讃えます。これは、仏法の智慧を聞き開くと「岩山の道を歩むような人生の苦悩の道が、平穏な道へと変化し、私の心を傷つけるような悲しい出来事も、私の心を和ますきれいな花へと変わってゆく」という意味でしょう。どうか皆さまにとって、この度のご法座に、このような発見があれば幸いです。
14日(金)
盂蘭盆会法座 13日(木)晨朝 ~ 16日(日)日中
西村 信也/本願寺派布教使(東京教区神奈川組西法寺)/『阿弥陀経』のこころ
【 盂蘭盆会法座 】 13日(木)~16日(日)
「 『阿弥陀経(あみだきょう)』のこころ 」
西村 信也(にしむら しんや)(東 京)
祇園精舎を後にしようとする文殊菩薩が、舎利弗に法を説きます。その法を了解した舎利弗は「文殊菩薩の歩む道は、岩山の道が平に変り、イバラの道がきれいな花へと変わります。」と讃えます。これは、仏法の智慧を聞き開くと「岩山の道を歩むような人生の苦悩の道が、平穏な道へと変化し、私の心を傷つけるような悲しい出来事も、私の心を和ますきれいな花へと変わってゆく」という意味でしょう。どうか皆さまにとって、この度のご法座に、このような発見があれば幸いです。
15日(土)
盂蘭盆会法座 13日(木)晨朝 ~ 16日(日)日中
西村 信也/本願寺派布教使(東京教区神奈川組西法寺)/『阿弥陀経』のこころ
【 盂蘭盆会法座 】 13日(木)~16日(日)
「 『阿弥陀経(あみだきょう)』のこころ 」
西村 信也(にしむら しんや)(東 京)
祇園精舎を後にしようとする文殊菩薩が、舎利弗に法を説きます。その法を了解した舎利弗は「文殊菩薩の歩む道は、岩山の道が平に変り、イバラの道がきれいな花へと変わります。」と讃えます。これは、仏法の智慧を聞き開くと「岩山の道を歩むような人生の苦悩の道が、平穏な道へと変化し、私の心を傷つけるような悲しい出来事も、私の心を和ますきれいな花へと変わってゆく」という意味でしょう。どうか皆さまにとって、この度のご法座に、このような発見があれば幸いです。
16日(日)
盂蘭盆会法座 13日(木)晨朝 ~ 16日(日)日中
西村 信也/本願寺派布教使(東京教区神奈川組西法寺)/『阿弥陀経』のこころ
【 盂蘭盆会法座 】 13日(木)~16日(日)
「 『阿弥陀経(あみだきょう)』のこころ 」
西村 信也(にしむら しんや)(東 京)
祇園精舎を後にしようとする文殊菩薩が、舎利弗に法を説きます。その法を了解した舎利弗は「文殊菩薩の歩む道は、岩山の道が平に変り、イバラの道がきれいな花へと変わります。」と讃えます。これは、仏法の智慧を聞き開くと「岩山の道を歩むような人生の苦悩の道が、平穏な道へと変化し、私の心を傷つけるような悲しい出来事も、私の心を和ますきれいな花へと変わってゆく」という意味でしょう。どうか皆さまにとって、この度のご法座に、このような発見があれば幸いです。
17日(月)
18日(火)
19日(水)
20日(木)
21日(金)
22日(土)
土曜講座 13:30 ~ 15:00
加藤 順教/本願寺派布教使(大阪教区讃良組自然寺)/目覚めの念仏
【 土曜講座 】 13:30 ~ 15:00
22日(土)「 目覚(めざ)めの念仏(ねんぶつ) 」
加藤 順教(かとう じゅんきょう)(大 阪)
念仏とは、佛を念ずることです。浄土真宗では「南無阿弥陀仏」のことです。世間では「南無釈迦牟尼佛」「南無大日如来」なども念仏です。なぜ佛を念ずるのでしょうか?念仏は成佛の法です。佛に成ります。佛とは覚者といい、目覚めた者といいます。迷いの夢から醒めたものです。念仏するということは、陶酔することではありません。夢見ることでもありません。智慧の念仏によって目覚めることです。念仏が我身に開いたところが信心であり、それは智慧の信心です。念仏申すということは目覚めることです。
23日(日)
日曜講演 10:30 ~ 12:00
長谷川 毅正/本願寺派布教使(大阪教区西成組西教寺)/正信のお念佛
【 日曜講演 】 10:30 ~ 12:00
23日(日)「 正信(しょうしん)のお念佛(ねんぶつ) 」
長谷川 毅正(はせがわ きしょう)(大 阪)
私たちは一体何を日々忙しいと急ぐのでしょう。佛さまから見れば悲しい凡夫の生き様です。立派な家に住み家族に囲まれ、たくさんの衣食に恵まれる生活、それが人の幸せとみんな追いかけての人生です。何かを手に入れるため、安心して生きていくためと。しかし、人間の世界で何を手に入れようと安心出来る物は何一つなく逆に手に入れれば入れるほど迷いは深まります。ゆったりと一つに止まる正信の念佛、佛さまのお慈悲をご一緒にご讃嘆いたしましょう。
24日(月)
25日(火)
26日(水)
27日(木)
28日(金)
29日(土)
土曜講座 13:30 ~ 15:00
藤  正史/本願寺派布教使(大阪教区南郡組慈光寺)/智慧の眼
【 土曜講座 】 13:30 ~ 15:00
29日(土)「 智慧(ちえ)の眼(まなこ) 」
藤 正史(ふじ まさし)(大 阪)
私たちは「幸せ」を、自分にとって、好き嫌い、都合、損得、役に立つかどうか、などの自己を中心とした基準をもって判断し、その価値観に叶うものを得ることによって達成されると考えています。しかし、思い描いた通りに叶うことは少なく、仮に叶ったとしても永遠に続くことはありません。一喜一憂し過ぎていく人生でしかなく如来の智慧の眼から見れば、無明の闇に他ならないのです。私の姿を仏智によって明らかにされて、仏法を依り所とした幸せとは何か。無碍の光明のお心を仰いでまいりたいと存じます。
30日(日)
日曜講演 10:30 ~ 12:00
木村 義文/本願寺派布教使(大阪教区日根組専徳寺)/善悪のふたつ、総じてもって存知せざるなり
【 日曜講演 】 10:30 ~ 12:00
30日(日)「 善悪(ぜんあく)のふたつ、総(そう)じてもって存知(ぞんち)せざるなり 」
木村 義文(きむら ぎもん)(大 阪)
火山噴火の予兆として、山の膨張があります。測定する精度はcm単位、角度は数万分の1度という高レベルだそうです。不確実性を排し、確実性を重視します。見えやすく、有意義ではありましょう。しかし、本当の豊かさを考えれば限界があるでしょう。「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」(ヴィットゲンシュタイン)。世界中には仏教思想に影響を受け、真の幸せを模索される思想家が多くいらっしゃいます。