法座(法座概要)

2016年7月

▼ 晨朝勤行

朝のお参りのことを「晨朝(じんじょう)」といいます。朝のひとときを、ご一緒に過ごしてみませんか?

毎朝7時より(1時間程度です) 

▼ 法座日程

をクリックすると法座概要が表示されます。(JavaScriptがオフの場合は常に表示された状態になります)

1日(金)
朝の仏教講座 7:00 ~ 8:20 ※晨朝に引き続き40分間
 菅 純和/月刊誌「御堂さん」編集長/心のやさしさ
【朝の仏教講座 】 1日(金) 7:00~8:20
「心(こころ)のやさしさ」
月刊誌『御堂さん』編集長/菅 純和(すが じゅんわ)(大阪)
テレビや映画で、「ほとけ」という言葉が使われるときは、「死体」を意味することが多いです。それを、けしからんことだとする向きがあります。「ほとけ」とは覚者のことであって、言葉の誤用だという訳です。しかし、本当にそうなんでしょうか。「死ねばほとけ」という、優しい考え方が根底にあるからこそ、死体をも「仏さま」だと拝んで行く伝統が生まれたのではないでしょうか。そのことを少しお話してみたいと思います。
2日(土)
土曜講座 10:30 ~ 12:00
 加藤 真悟/本願寺派布教使(大阪教区讃良組自然寺)/必得往生のこころ
【 土曜講座 】 10:30 ~ 12:00
2日(土) 「必得往生(ひっとくおうじょう)のこころ」
加藤 真悟(かとう しんご)(大 阪)
「必得往生といふは、不退の位に至ることを獲ることを彰すなり。『経』(大経)には「即得」といへり、釈(易行品)には「必定」といへり。「即」の言は願力を聞くによりて報土の真因決定する時剋(じこく)の極促(ごくそく)を光闡(こうせん)するなり。「必」の言(ごん)は審(つまびらか)なり、然(しからしむる)なり、分(わかち)極(きわむる)なり、金剛心(こんごうしん)成就(じょうじゅ)の貌(かおばせ)なり。」(註釈版170頁 行文類より)特にこの度は、「必ず往生を得しむ」と誓われた阿弥陀さまのおこころを、ご一緒にお聞かせいただきます。
3日(日)
日曜講演 10:30 ~ 12:00
 髙田 慶慈/本願寺派布教使(大阪教区東住吉組慈光寺)/「お勤め」のこころ
【 日曜講演 】 10:30 ~ 12:00
3日(日) 「?お勤(つと)め”のこころ」
髙田 慶慈(たかだ けいじ)(大 阪)
お経を唱える。と言いますが、私は最近になって、叱られるかもしれませんがエエコトやなあと思えてきました。子どものころから祖父や父から言われて、イヤイヤお勤めしてきました。しかし5年ぐらい前から変わってきました。同じことを繰り返すとたいがい飽きてきますが、お勤めするうちにこれは飽きるとかではないものだなあと思ってきました。仏語だからか?子どもの頃からのお育てなのか。やっぱり、まずお勤めが大事ですね。
4日(月)
5日(火)
6日(水)
7日(木)
8日(金)
9日(土)
土曜講座 10:30 ~ 12:00
 松永 徳成/本願寺派布教使(大阪教区天野北組西稱寺)/心を弘誓の仏地に樹て
【 土曜講座 】 10:30 ~ 12:00
9日(土) 「心(こころ)を弘誓(ぐぜい)の仏地(ぶつじ)に樹(た)て」
松永 徳成(まつなが とくじょう)(大 阪)
親鸞聖人は『教行信証』後序に「心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。」と御自身の御心を明かされました。この御言葉は西遊記のモデルになった玄奘三蔵法師の旅を記録した『大唐西域記』に記される「心を仏地に樹て、情を法海に流す」という御言葉を参考にしたものと考えられています。
当講座では、玄奘三蔵法師の旅に簡単に触れつつ、そのお言葉を自らの念と重ね合わされた親鸞聖人のお心を窺います。
10日(日)
日曜講演 10:30 ~ 12:00
 利井 唯明/本願寺派布教使(大阪教区島上西組常見寺)/三悪趣なき浄土の誓い
一味会 13:30 ~ 15:30
 大野 孝顕
 利井 唯明
【 日曜講演 】 10:30 ~ 12:00
10日(日) 「三悪趣(さんまくしゅ)なき浄土(じょうど)の誓(ちか)い」
利井 唯明(かがい ゆいみょう)(大 阪)
煩悩の赴くままに生きる事を当たり前にし、それが苦の根源とも知らない。むしろ煩悩を満たすことこそが人生最高の幸せであると錯覚して、六道を経めぐり続けている凡夫。その迷いの境界より全く離れ出る事の出来ない凡夫を救わずにはおれない、と阿弥陀仏は大悲本願を発して下さったのです。
このたびはその本願の中から第一願(無三悪趣の願)、第二願(不更悪趣の願)のお心をお聞かせいただきます。
11日(月)
12日(火)
13日(水)
婦人会 13:30 ~ 15:00
 網干 善一郎/本願寺派布教使(兵庫教区高砂組善行寺)
14日(木)
常例布教 14日(木) ~ 17日(日)
 棚原 正智/本願寺派布教使(兵庫教区神姫組光輪寺)
 ただ念仏のみぞまことにておわします
【 常例布教 】 14日(木)逮夜~17日(日)日中
「ただ念仏(ねんぶつ)のみぞ まことにておわします」
棚原 正智(たなはら しょうち)(兵庫)
日々の生活の中で、何がおこるかわからない私です。又、私だけではなく私の家族であったり地域であったり、私の暮らす国であったり何が発るか、何が起こりつつあるのか、良く判らないことばかりです。この判らないことだらけの中にあって、「ただ念仏のみぞまこと」といただかれた親鸞聖人のお念仏の生涯は、私の規範であり希望です。今、改めて聖人の歩みを確かめ、聖人の明されたお念仏を味わいたいと思います。
15日(金)
常例布教 14日(木) ~ 17日(日)
 棚原 正智/本願寺派布教使(兵庫教区神姫組光輪寺)
 ただ念仏のみぞまことにておわします
【 常例布教 】 14日(木)逮夜~17日(日)日中
「ただ念仏(ねんぶつ)のみぞ まことにておわします」
棚原 正智(たなはら しょうち)(兵庫)
日々の生活の中で、何がおこるかわからない私です。又、私だけではなく私の家族であったり地域であったり、私の暮らす国であったり何が発るか、何が起こりつつあるのか、良く判らないことばかりです。この判らないことだらけの中にあって、「ただ念仏のみぞまこと」といただかれた親鸞聖人のお念仏の生涯は、私の規範であり希望です。今、改めて聖人の歩みを確かめ、聖人の明されたお念仏を味わいたいと思います。
16日(土)
常例布教 14日(木) ~ 17日(日)
 棚原 正智/本願寺派布教使(兵庫教区神姫組光輪寺)
 ただ念仏のみぞまことにておわします
【 常例布教 】 14日(木)逮夜~17日(日)日中
「ただ念仏(ねんぶつ)のみぞ まことにておわします」
棚原 正智(たなはら しょうち)(兵庫)
日々の生活の中で、何がおこるかわからない私です。又、私だけではなく私の家族であったり地域であったり、私の暮らす国であったり何が発るか、何が起こりつつあるのか、良く判らないことばかりです。この判らないことだらけの中にあって、「ただ念仏のみぞまこと」といただかれた親鸞聖人のお念仏の生涯は、私の規範であり希望です。今、改めて聖人の歩みを確かめ、聖人の明されたお念仏を味わいたいと思います。
17日(日)
常例布教 14日(木) ~ 17日(日) ※17日午後より廣輪会例会
 棚原 正智/本願寺派布教使(兵庫教区神姫組光輪寺)
 ただ念仏のみぞまことにておわします
廣輪会 13:30 ~ 15:00
 棚原 正智/本願寺派布教使(兵庫教区神姫組光輪寺)
【 常例布教 】 14日(木)逮夜~17日(日)日中
「ただ念仏(ねんぶつ)のみぞ まことにておわします」
棚原 正智(たなはら しょうち)(兵庫)
日々の生活の中で、何がおこるかわからない私です。又、私だけではなく私の家族であったり地域であったり、私の暮らす国であったり何が発るか、何が起こりつつあるのか、良く判らないことばかりです。この判らないことだらけの中にあって、「ただ念仏のみぞまこと」といただかれた親鸞聖人のお念仏の生涯は、私の規範であり希望です。今、改めて聖人の歩みを確かめ、聖人の明されたお念仏を味わいたいと思います。
18日(月)
19日(火)
20日(水)
21日(木)
22日(金)
23日(土)
土曜講座 10:30 ~ 12:00
 義本 弘導/本願寺派布教使(大阪教区交野祖浄行寺)/慈悲に聖道・浄土のかはりめあり
【 土曜講座 】 10:30 ~ 12:00
23日(土) 「慈悲(じひ)に聖道(しょうどう)・浄土(じょうど)のかはりめあり」
義本 弘導(よしもと こうどう)(大 阪)
仏教は慈悲の宗教と言われています。その慈悲について、親鸞聖人は歎異抄に「慈悲に聖道・浄土のかはりめあり」とおっしゃっておられます。このお言葉からは慈悲に聖道と浄土の違いがあるように聞こえます。はたしてそうなのでしょうか。また、慈悲には私たちがおこすものと、仏さまがおこされるものとは違い目があると言われます。それでは、私たちには仏さまの慈悲をおこすことはできないのでしょうか。私自らが、最近受けた手術で考えさせられたことからお話ししようと思います。
24日(日)
日曜講演 10:30 ~ 12:00
 中西 昌弘/本願寺派布教使(大阪教区榎並組浄光寺)/弥陀成仏のこのかたは
【 日曜講演 】 10:30 ~ 12:00
24日(日) 「弥陀成仏(みだじょうぶつ)のこのかたは」
中西 昌弘(なかにし まさひろ)(大 阪)
弥陀成仏のこのかたは
いまに十劫をへたまへり
法身の光輪きはもなく
世の盲冥をてらすなり
このご和讃は、『正信偈』の帰敬頌「帰命無量寿如来 南無不可思議光」と対応したお言葉です。このご和讃を通して、阿弥陀さまのお慈悲のはたらきをご一緒に味わいたいと思います。
25日(月)
26日(火)
27日(水)
28日(木)
29日(金)
30日(土)
土曜講座 10:30 ~ 12:00
 星野 親行/本願寺派布教使(大阪教区豊島南組西法寺)/一切の業繋ものぞこりぬ
【 土曜講座 】 10:30 ~ 12:00
30日(土) 「一切(いっさい)の業?(ごうけ)ものぞこりぬ」
星野 親行(ほしの しんぎょう)(大阪)
「清浄光明ならびなし 遇斯光のゆゑなれば
 一切の業?ものぞこりぬ 畢竟依を帰命せよ」
のお言葉です。親鸞聖人がおつくり残しをくださった「ご和讃」の一首であります。
遇斯光とは、業?がのぞこるとは…
このご法語が、私にとってどういう意味を持っているのか…
あらためてご一緒にお聞かせいただきたいと思います。
31日(日)
日曜講演 10:30 ~ 12:00
 髙藤 秀善/本願寺派布教使(大阪教区榎並組善立寺)/安らかに日々をおくる
【 日曜講演 】 10:30 ~ 12:00
31日(日) 「安(やす)らかに日々(にちにち)をおくる」
髙藤 秀善(こうふじ しゅうぜん)(大 阪)
私は、日々の勤行の最初に、「われ今幸いに まことのみ法を聞いて 限りなきいのちをたまわり 如来の大悲にいだかれて 安らかに日々をおくる 謹んで 
深きめぐみをよろこび 尊きみ教えをいただきまつらん」という、意訳の「礼讃文」をお勤めしています。浄土真宗の教えを聞いて、阿弥陀さまのお念仏の中で生活をさせていただいている。それは、尊いことであり、喜ばしいことなのですが、はたして「安らかに日々をおくっている」だろうかと言われると、正反対の生活をしている現実があります。それは「ええや悪いや」「損や得や」と、煩悩まみれの生活です。はたして、それでいいのでしょうか?
今回は念仏者の生き方について、考えてみようと思います。