沿革

人が宗教を造る

  「日本人は宗教を造る天才である」とヨーロッパの学者が言ったそうです。このことは日本人が宗教に対して、いかにお粗末な考え方しか持っていない国民であるかと言うことを笑っている言葉です。

 日本では宗教を持たないことが普通とされていて、苦労な問題をかかえている人とか、人生の弱さに負けて生きることの危なかしい人が信ずるものが宗教であったり、あるいは信者ではなくとも、死の縁に出会うとか、祭りごとに従事するとか、クリスマスをするとか、新年に神前で拍手を打って頼みごとをすることが宗教であると考えられているのです。平素は「仏ほっとけ神かまうな」式の意識がとても強い国民性があるのです。

 宗教の「宗」という文字は「むね」と読みます。むねは人間の胸と同じ発音ですが、意味もよく似ているのです。人間には胸がとても大切なところで、人間にとって大切でないところはありませんが、中でも胸は心の家です。心の温かい人、思いやりの心の厚い人が、健康第一主義、頭脳明晰型、手腕にたけた人より人から親しまれ心が引かれるのではないでしょうか。宗教は人間にとって欠かすことのできない問題を明確にするものであります。

 宗教の「教」は教えですから、知らないことを言いきかせ、さとし、わからせるとあります。教の文字は「ならう」と「むち」からできているのだと言われている位ですから、宗教とは「人間に、むちをもって教えならわしめる位に欠かすことのできない教え」なのです。今、皆さんの身のまわりにある宗教はともすると、人間が都合のいいように、人間の願いで造った宗教がとても多いので、宗教を造る天才であると思われているのです。

『聞法(昭和62年8月1日発行)』 (著者 : 武田 智徳)より