沿革

知識の宗教

  皆さんの身のまわりに「宗教」が沢山あると思います。商売繁盛、病気治し、出世開運、学業成就、縁結び、縁切り、息災延命、諸願成就の宗教です。いずれもご利益まちがいないと社寺側は宣伝、広告を堂々とやって人びとを集めています。

 ところが、これらの宗教の中味は人間の欲望から出たものばかりで、人間の目先きの願いなのです。人間の願いは年齢とか職業とか、環境とか、生活とか、時代によって変化するもので、これらの願いをもとにして宗教が造られるものですから「知識の宗教」だと批判されるのです。人間の知識は自己中心のエゴで、自分の都合のいい方向に片寄ると言う偏向性を必らず持っているのです。

 昔話ですが一休さんが蓮如さまに「人間とは」寝て喰って、寝て喰って・・・・と書いて、これが人間であると結んだ手紙を出されたそうです。すると蓮如さまは「人間とは」こうして、ああして、こうしてああして・・・・と同じだけ書かれて、これが人間であると返事を出されたと聞きました。「エゴ」の連続なのです。そのエゴをエゴだと気づかずに、そのエゴが充されなくなったり、困った状態になると神仏に結びついて、充してくださる神さま困らないようにしてくださる仏さまと、人間の分別とエゴの知識から宗教が栄えてくるわけです。本当はそのようなエゴを満足させてくれる神仏はないのですが、自分が信心を造って自分が満足しているので「知識の宗教」と言われるのです。

 エゴはどこまでもエゴです。エゴを一生涯積み重ねてもエゴです。エゴを早くエゴであることにめざめさせてくださる教えが「智慧の宗教」であります。

『聞法(昭和62年8月1日発行)』 (著者 : 武田 智徳)より