沿革

智慧の宗教

  人間はもとよりエゴと偏向性の連続の動物ですから、貪り(むさぼり)の心と、怒り腹立ちの心と、愚痴の心をいのちとして生きているのです。

 これを迷いの世界と申しますが、この迷いの世界に生きるすべての「いのち」に対して、「さとり」の道すじを伝え知らしめ、さとらしめるはたらきが「智慧の宗教」であります。

 智慧とはさとりですから、宗教は限られた人たちとか、特別の人だけのものでなく、生と死からのがれることのできない、しかもエゴであるすべての人びとに、欠かすことのできないものが智慧の宗教であります。

 智慧の宗教は人間の知識から造り出されたものではなく、まことの「法」のはたらきとして真実の世界から至りとどいている教えですから、さとりの宗教と言うわけです。

 日本には天皇を現人神(あらひとかみ)と仰ぐ神を中心とする神道、お釈迦さまのお悟りによる仏教、神が人類に愛をあたえるキリスト教などが同居しているのです。
 さとりの宗教は時代とか環境とか欲望などによって造れるものではなく、変わることのない「よりどころ」根本の経典、聖書、コーランなどが明らかにされ、加えてこれらを更に論じ、解釈したものが伝来しているのです。

 根本聖典のない宗教はその時代性と大衆の好みに応じて宗教的儀式を生み出し、儀式を制度化して、その実践をもって宗教と呼ばれている種類の教えが多いのです。

 このように宗教とは言っても教えの根本になる聖典のない神道は別として、縁起の法を説く仏教はその経によれば、必らず永遠性を有する、必らず正しき原理に基づく、必らず普遍性を有する、必らず絶対性に立つ、必らず転成性があると説かれているのが智慧の宗教であります。

『聞法(昭和62年8月1日発行)』 (著者 : 武田 智徳)より