沿革

仏と共に

 私たちは生活に困ったことや都合の悪いことが起きると、仏さまを拝んだり先祖を大切にすることがあります。それは仏さまの力や先祖の力で、困らないようになりたいとか、都合よくなる力をさずかりたいと願うわけです。

 ところが仏さまは困った人を困らなくしたり、都合の悪いことを都合よくしてくれる便利な方ではありません。

 逆に、仏さまが人を困らせたり、先祖にお経を勤めないから罰をあたえたりすることもありません。

 仏さまは困っている人や都合の悪い人の心の中にはいりこんで、心を解きほぐして、困った困ったとしか思えない人の心の方向を転じて考えてみましょうと、仏さまも困った人と共に考えてくださるのです。

 すると困ったことは変らないが、困っている最中にありながら、心が開けて、困ったことの元の起りが自分に存在していたことや、相手ばかりを悪ものにしていたことなどが自然とわかって、自分の心や、人の心の姿まで知ることができるのです。そうかといって困ったことが無くなるのではありません。都合の悪いことはやはり都合が悪いのですけれども、そのことに心が執着しすぎなくなるのです。むしろ、困ったことに出会ったおかげで、いろんなことを知ることができたことは有難いことです。

 このことは煩悩に生きる自分の力では恵まれないことです。仏のはたらきによるもので、仏さまは先祖にも私たちにも分けへだてなく、いつも離れてくださっていないのです。仏さまが現に今、私と共に、私を離れてくださっていないことの確かさを身体全体でいただくことが、仏法または仏教の現代性と言うことになるのです。

『聞法(昭和62年8月1日発行)』 (著者 : 武田 智徳)より