沿革

お経は仏のことば

 仏教はお釈迦さまによって説かれた経典がよりどころであります。

 正しい教えには必らず「依りどころとなる経典」があるのです。人は生まれながらの生活をしていると、野育ちと同じことで貪りと怒り腹立ちと愚痴の生き方しかできないのです。その野育ちのいのちを、仏さまの教えによって耕やされて本物にめざめるはたらきを文化と呼び、その依りどころを経典によることによって仏教文化と呼ぶのです。

 一般にお経はお釈迦さまが三十五歳でお悟りを開かれて以来、各地で説法されたものを、お釈迦さまがご入滅後まとめられたものがお経で約七千八百巻と言われています。

 お経はいつの時代にも変わらない真実の理を説いたもので、お経の語は織物のタテ糸とか、線、物ごとのすじ道を表わしたものとされています。

 仏教には経典、キリスト教には聖書、イスラム教にはコーランがありまして、いつの時代にも人間の環境の変化にかわることのない道すじを説かれたもので、織物のタテ糸にたとえられたこともうなずけます。織物で「タテ糸」がしっかりしていないとヨコ糸が織れないのですから、特にタテ糸は欠かすことのできない大切な糸であります。

 ちょうどそれは真実の世界から迷いの世界に届けられた真実の「タテ糸」です。お経は真実の世界からの真実の言葉です。迷いを転じて悟りを開く智慧の教えを説かれたものがお経です。世間でどれほど仏説のように、仏法のもの知りのように人に話す人があっても、お経に説かれていないことを説き伝えることは仏教ではありません。よりどころのないものは俗信であって仏教ではないのです。

『聞法(昭和62年8月1日発行)』 (著者 : 武田 智徳)より