沿革

法事にはお経

 亡くなった親兄弟の年忌が来ると、各家庭では法事を営みます。家族が揃って法事に参れる日を選んでお寺にお願いし、親類の人にも参ってもらうようにご案内をします。法事と仏法の事を中心にするから法事と言うのですが、最近はどうも法事が世間事で終る場合が多くなっているのではないでしょうか。

 「お経」の勤まっている間はお寺さんの時間だと思われ、「おとき」となると我らの時間がきたとばかり食事をしながら世間話がつづくのです。車の話、ゲートボール、温泉旅行、ゴルフの話が延々とつづくのです。仏法の話が出かけたかと思うとすぐに切れてしまうのです。法事とは名ばかりで、世間のこと、たべることで終ってしまうことが悲しいことです。

 これからは法事のご案内を受けられたら、その日は時間前に早く参って、お経の勤められている間は話をしたり、タバコをのんだりお菓子をいただいたりせずに、お経中は心を静かにして、今、ご住職が勤めておられるお経は「仏さまが、明日のいのちのわからないような私を、必らずお救いくださる」と、真実の仏の世界から私たち凡夫の身の上にとどけてくださった仏のまことの言葉をお経としてあげてくださっているのであると、幾度もいくどもくりかえして、思いを深め静かにお念仏を口の中で称えさせてもらうことが法事であります。

 故人となられた方々を縁として聞法する機会に恵まれたのですから、平素仏法にご縁のない人も、忙しいことに流されている生活に時間をさいて仏縁を大切にすることが法事の心であります。

『聞法(昭和62年8月1日発行)』 (著者 : 武田 智徳)より