沿革

心を責めよ

 阿弥陀如来のすくいは「そのままのすくい」といわれます。私たちに何か条件を出して、この条件を満たしたらすくってやろうというようなすくいではありません。
「あなたはあなたのままでいいから力いっぱい生きなさい、どんなことがあっても私はあなたを捨てません」と、私の「いのち」の全体をつつみ、ささえてくださる阿弥陀如来のあたたかいお心に遇って、小さな「我」の殻にこもっている私たちが、その小さな「我」から開放されることが、阿弥陀如来のすくいなのです。

 ですから、私が何をどうしたのか、私がどう思ったということは、救いに関係のないことです。阿弥陀如来のあたたかいお心が、小さな「我」の殻に閉じこもって冷えきっている私の「いのち」をときほぐしてくださるのがすくいなのです。

 このようにすくいは阿弥陀如来の一方的なおはたらきで実現するのです。それを「そのままのすくい」というのです。ところが、これを受けとり違いをして、「このまま」と横着な人間が、自分の横着に合わせて受けとりますと、横着がますます横着になり、勝手気ままな生き方になります。

 蓮如上人は「我が心にまかせずして、心を責めよ。仏法は、心のつまる物かとおもへば信心に御なぐさみ候」といわれました。

 「横着な心にまかせず、心をひきしめ、たしなみなさい」といわれたのです。そして、「そういうと仏法とは堅苦しいものだと思うかもしれませんが、阿弥陀如来のあたたかい心にふれて、常に慰められるので、本当は堅苦しいものではないのですよ」と教えてくださいました。

『聞法(昭和62年8月1日発行)』(著者 : 藤田 徹文)より