沿革

法話と世間話

 誉めるということほど、私たちにとってむつかしいことはありません。それに対して、くさすことのなんとたやすいことでしょう。どのような場でも誉める言葉は十分と続きませんが、くさす言葉なら一時間でも二時間でも続きます。ですから、誉める言葉から始まった話でも、気がつくと、くさす言葉の連発になっていることがあります。

 あの時のあの人はすばらしかったという話が、「それはそうだけれども」という言葉が入ると同時に、「あの人のあの態度はいかん」、「あの時のあの行動はいただけない」と、悪口に変わってしまいます。

 法話は仏法讃嘆です。阿弥陀如来の私たちを案じてくださるあたたかいお心をよろこび、ほめたたえるのが法話です。

 世間話は、人の噂話が中心です。それも人を誉める話でなく、人をくさす話が世間話の中心です。ですから、誉めるよりくさすのが上手な私たちは、法話であっても、すぐに世間話に変えてしまいます。

 蓮如上人のころも、そういうことが多かったようです。「仏法のことをいふに、世間のことにとりなすひとのみなり」という蓮如上人のお言葉が残されています。

 私たちは仏法の話が世間話になると嫌気がさして投げ出してしまいますが、蓮如上人は「それを退屈せずして、また仏法のことにとりなせ」とお示しくださいました。

 世間話になったからと投げ出せば、話はいつも世間話で終わってしまいます。それをもう一度、仏法讃嘆の話に引き戻すように仕向けるのがみ教えに遇ったものの責務だと思います。

『聞法(昭和62年8月1日発行)』(著者 : 藤田 徹文)より