沿革

死ねば皆仏か

 あるご法座でのことです。子供を含め、たくさんの方がお参りしておられました。その中の一人の子供にたずねたことです。

 私が「東京へ行くのにどうすれば良いか」と、たずねますと、子供から「電車か飛行機で行けば良い」という答えが返ってきました。「では、どの電車に乗っても東京へ行くのか、どの飛行機にのっても東京へ行くのか」とたずねかえしますと、子供は「そりゃあかん、東京行きでないとダメ」と言いました。つづいて「どうして東京行きだと東京に行けるのか」と問い返すと、子供は「それは東京行きだから」と答えました。

 大人よりも子供の方が素直で答えが早く返って来ます。こういう道理はわかっても、私たちは仏さまに成る、お浄土にお参りすることになるとサッパリだめなのはどうしてでしょうか。お浄土参りも同じであります。東京へ行くのには東京行きの乗りものに乗らねばなりません。東京行きの乗りものに乗れば東京へ行くことは知っていても、乗らなければ行くことは出来ないのです。お浄土に生まれさせて頂くのには阿弥陀如来さまのみ教えに会う以外にはないのです。み教えそのものがこの私のためのものだからなのです。み教えに会う機会があっても、会おうともせず、「死ねば皆、仏」と思いこんでいる人がいかに多いことか。「法を得くるに身を持ってせよ」とのお言葉もあります。体をはこびご法座にお参りし、お聴聞して頂きたいものです。

『聞法(1990(平成2)年7月16日発行)』(著者 : 佐々木 大観)より