沿革

親の願いこそ

 こんな歌があります。「子が親思う思いは、思いを起こす思いにあらず、思わずに思いを起こす思いなり。」子供が親を思い、親を呼ぶとき、”さあ、いまから親を思おう、親を呼ぼう”などと考えて、呼ぶ子供はおりません。しらぬ間に口から出てしまう、心に思ってしまうのです。

 それはどうしてなのか。親の腹の中で、外から出てから大きくなるまでハダとハダを通して、親の思い、願いを受け取っているからではないでしょうか。親の子に対する願いの、思いのあり方を子供が受け取っている故に、親を思い、呼ばずにおれないのでしょう。

 ちょうど、お念仏もその通りであります。阿弥陀さまが、この私を思って下さるその思いを頂いた時、念仏申さずにおれません。阿弥陀さまの名を呼ばずにおれないのです。

 子供が親の願いの中にこそ生きられるように、この私も阿弥陀さまの願いの中にこそ生きていけるのです。子供が知ろうが知ろまいが、親の願いがあるように、私が知ろうが知ろまいが阿弥陀さまの願いがあるのです。願いを聞かせて頂き、その願いの中にこそ、真実の私の人生があることを喜ばさせて頂きましょう。仏さまの大いなる願いを私が望むより前に、仏さまから願われていることを忘れてはならないのです。

『聞法(1990(平成2)年7月16日発行)』(著者 : 佐々木 大観)より