沿革

稲刈り お仏飯

 9月になりますとあちらこちらのたんぼが黄金色になり、稲刈りが始まります。お米は仏さまのお荘厳になくてはならないものです。

 昔は、毎日、小さな”ゆきひら”で、お仏飯を炊いていました。そうして、1日の生活が始まったのです。しかし、そういう生活が困難になった今、ご飯を炊いた時、真っ先に仏飯器で、お供えするというのが一般的になったようです。

 しかし、お仏飯は決して食べるものとして、仏さまや亡くなった人の為にお供えするものではありません。お浄土では、いつもすばらしいご馳走が用意されていて、その美しさを見て、香りをかいただけで満足すると、お経に説かれています。だから、こちらからさしむけるものは何もありません。お仏飯は、お浄土をしのんで、美しくお飾りするという意味合いのものです。そして、それは仏さまへのお荘厳として日常のお給仕に欠かせないものです。

 では、そのおさがりは、どういただけばよいでしょうか。私たちは仏教徒として、生臭いものを食べないという「精進」の伝統を伝えられてきました。そうした伝統も、今では私たちの食生活からは消えようとしています。

 しかし、現実生活の中で、なにひとつ清浄なことのできない私たちこそが、仏さまのお救いのおめあてだったことに、お仏飯をいただく際に生臭いものを食べないことで、気付かせていただこうという先人のすすめは今でも伝えられています。

 だから、お仏飯をお供えしたら、すぐにお勤めして、その後、長く置かずに下げます。1日中お供えして、からからになったお仏飯を残飯扱いにすることは、仏さまを粗末にしたことになるでしょうし、日常のお給仕の意義も薄れるでしょう。おさがりは、ありがたくいただきたいものです。そして、それがまた食物に恵まれていることへの感謝につながると思います。

『聞法(1991(平成3)年7月13日発行)』(著者 : 義本 弘導)より