沿革

役にたつという見方

 現代は、いのちを見失った時代だといわれます。私たち自身、いのちを見失った生き方をしていないでしょうか。世間の価値観や、損や得、役にたつ役にたたないという見方でいのちを軽く見ていないでしょうか。

 たとえば、会社の社長が、「お前はとても大切な人間である」といった場合と、親が子に、「お前はとても大切な人間である」といった場合、同じ大切な人間であっても内容は全く違います。

 会社の社長が「大切な人間である」といったのは、会社にとって役にたつからです。利用価値があるからです。しかし病気等で、仕事ができなくなった時、役にたたなくなった時、会社からは「辞めてくれ」と言われるでしょう。それは、かけがいのない「いのち」としてみているのではないのです。取り替えがきくのです。目的を達成するための手段にすぎないのであり、道具なのです。道具は消耗品であり、古くなればゴミなのです。

 しかし親が子に「大切な人間である」と言っているのは、役にたつ役にたたないを越えて、その子のいのちをいのちとしてみているのです。どんなに出来の悪い子であっても、親にとってかけがえのない「いのち」なのです。取り替えができないのです。

 今、日本人は世間の価値観で、役にたつものを認め、役にたたないものは切り捨てていくという考えで、「いのち」を見ていることが多いような気がします。大変恐ろしいことです。老人の自殺も年々増えていますが、この「いのち」の見方が原因しているように思われます。すべてを役にたつ役にたたないという利用価値で判断してしまう習慣が身についてくると、自分自身さえもその価値基準でしか見られなくなってしまうからです。

 それ故、役にたつ役にたたないということを越えた大きな広いいのちの世界があることに気づくことが一番大切なんです。

『聞法(1993(平成5)年7月15日発行)』(著者 : 不死川 浄)より