沿革

いのちへの畏敬

 東井義雄先生が、小学校の校長をされていた時、朝礼で、「皆さん手を内に曲げて下さい、曲がりますか、痛くないですか」と聞くと、前に立っている一年生の子が、「先生曲がります、痛くないです」と答えました。先生は「そうですね曲がりますね、では今度は逆に手を曲げて下さい、曲がりますか」と聞くと、「先生曲がりません、痛いです、手が折れちゃいます」と答えました。先生は「そうですね、曲がりませんね、痛いでしょう。昨日皆さんが雨の中帰っていく時を見ていると、カサを逆に、チューリップの花が開いているようにさし、カサが痛い痛いと叫んでいるのに、その痛みを聞いてやらない子がいたよ、聞いてやろうね。また昨日皆さんが廊下を歩いていた時、靴のカカトをふんで、靴が痛い痛いと叫んでいるの聞いてやらない子がいたよ、聞いてやろうね」と話されたそうです。

 いのちは人間だけのものではありません。あらゆる生き物にもいのちはあります。またあらゆる物にもいのちはあるのです。そのいのちを畏れ敬うことなくして教育は存在しないのです。

 ある作家の方が、フィリッピンの小島に行かれた時、現地の人から、「今日は大きなカニがとれたからごちそうします」といわれて楽しみに待っていました。しばらくしてその人がやって来て、「申し訳ありません。今日カニをごちそうしようと思っていたのですが、カニをみたら卵をかかえていたので逃がしてやりました」というのです。その言葉を聞いて自分の恥ずかしさに気づくと同時に、大変感動されたそうです。

 「卵をかかえているから海に帰すというのはその島の人にとってはごく当たり前の日常であり感情なのでしょう。私たちはそれが驚きなのです。いのちの畏敬ということからいえば日本人は徹底して堕落してしまった」また「いのちに対するこまやかな感情が芽生えてきたことを知った時、私は自分が少し深い人間になったような気がした」と述べておられました。

『聞法(1993(平成5)年7月15日発行)』(著者 : 不死川 浄)より