沿革

虚仮不実

 「私は長年仏法を聞いたおかげで腹をたてなくなりました」と言われる方がありますが、はたしてそうでしょうか、仏法を聞いたからといって腹がたたなくなるのではありません。もって生まれた根性は、そう簡単に変わるものではありません。

 仏法を聞いて腹がたたなくなるのではなく、いつも自分勝手に腹をたてている自分の姿が、はっきりと知らされてくるのです。腹をたてまいと思っていても、縁によってまた腹をたてている私です。お恥ずかしいと頭が下がる人が仏法の聞こえた人です。

 以前あるお婆ちゃんが、今日はとても良い話を聞いたから、今日一日は腹をたてまいと心に誓って帰宅しました。帰ると息子が家の建て替えの話をしていたので聞いてみると、お婆ちゃんの存在を全く無視した話だったので、少し口出しをすると、息子は「この話は婆ちゃんには関係ないんだ。婆ちゃんは黙っとけ」と、全く無視されたそうです。お婆ちゃんは腹がたって腹がたって、風呂場へ行き、水道の蛇口を思いきりひねってワンワンと泣いていたそうです。

 木村無相先生の詩に、「ナニやっても、ナニいっても、ナニ思っても、みんなスカタン虚仮不実」とありますように、私たちのやることに、これは間違いない、これは真実だということはないのです。みんなスカタン虚仮不実なのです。

 仏法を聞いて、良い人間、立派な人間になろうとするのではありません。煩悩具足の凡夫である私の姿が明らかになるだけです。私の姿が見えてくると、もう阿弥陀さまにまかすしか仕様のない私が知らされるのです。

 ある奥さんは、「仏法を聞いていいものになろうと20年頑張ってきましたが、やっとダメなもんやということがわかりました。ダメなもんやということがわかってはじめて聞法が地についてきました」と話されていました。

『聞法(1993(平成5)年7月15日発行)』(著者 : 不死川 浄)より