沿革

人の為

 漢字で偽(いつわり)という字は、人の為と書きます。人の為にするということは偽ということでしょう。

 よく私たちは子どもの為、家庭の為、友達の為とかいいますが、内容をみつめてみると、自分の都合が多いようです。私も子どもの為、子どもの為と言いますが、親のエゴを押しつけていることが多いようです。

 ある小学生の詩に、「お母ちゃんありがたいと思わないことはないが少し口うるさい。二言目にはお前のため、お前のためという。それは愛情の押し売りだ」とありました。私たちも自分の都合で、愛情の押し売りをしていないか問うてみなければいけません。

 以前学生が、「私の人生は保母として、子どもの為にささげます」といった時、「本当か」と問い返したことがあります。「子供の為といいながら、結婚したらすぐにやめる人は多いし、また結婚しても続けるのは、この仕事が好きだからとか、経済的理由からとか、ほとんど自分の都合なのです。子どもの為というより、自分のできる限りのことを精一杯つとめさせてもらうだけではないか。自分がつとめさせてもらったことに、子どもたちが喜び、結果的に子どもの為になってくれたらこの上ない喜びだ」と話したことです。

 人の為にと力んで行い、その心が相手に通じなかった場合、私たちはすぐに「せっかくしてやったのに」と愚痴がでます。

 そうですから、たといボランティア活動でも、苦しんでいる人の為にするのではなく、私が、私自身のつとめとして私のできる限りのことをさせていただくだけなのです。相手にお礼を言ってもらう為にするのではなく、私がさせていただくだけなのです。

『聞法(1993(平成5)年7月15日発行)』(著者 : 不死川 浄)より