沿革

おかげさま

 ある日本人の登山家が、外国の未踏峰の山に登った時、「我自然を征服せり」と叫んだそうです。しかし一緒に登った現地のシェルパは「自然が私に登ることを許してくれた」と大地にひれ伏して感謝したそうです。「我自然を征服せり」とは驕れる日本人の姿を象徴している言葉です。いくらすぐれた登山家といえども、気象条件が悪ければ登ることはできません。登れたということは、自然が登ることを許してくれたのです。おかげさまなのです。

  ソウルオリンピックの女子百メートル金メダリスト、ジョイナー選手や、メキシコオリンピックの男子走り幅とび金メダリストのビーモン選手は優勝した時、大地にひれ伏して大地にキスをして、「こんな素晴らしい記録が生まれたのも、私を支えてくれた大地があったからだ、この大地にどのような感謝の気持ちを伝えたらよいか」と語っていました。

  残念ながらこの言葉は、現在の日本人選手にはほとんど聞かれない言葉です。

  私は日本人とアメリカ人の宗教心の違いではないかと思います。現在でもアメリカ人の40%は、毎週家族そろって教会にお参りするそうです。日本は宗教の数はとても多いのですが、多くは霊や祟りや、自分の欲や願いを叶えてもらうという宗教で、宗教に関心はあっても宗教心は失くなってきました。物質的豊かさの中でいのちを見失ない、おかげさまの心を失くしてきました。

  だいぶ前の話ですが、ある農家の方が、朝から晩まで一生懸命働き、秋の収穫を得た時、「私が働いたから」とは少しも言わず、「おかげさま」と喜んでおられました。一生懸命働いても台風や長雨にあえば収穫は得られませんし、また目に見えないいろんな働きの中で収穫を得させていただいたのです。おかげさまなのです。念仏者とは、自分のした精一杯のことを少しも自分の功績と思わず、おかげさまと喜べる人なのです。

『聞法(1993(平成5)年7月15日発行)』(著者 : 不死川 浄)より