沿革

人間の知恵(ちえ)と仏の智慧(ちえ)

 人間の知恵は頭が上がり、仏の智慧は頭が下がります。人間の知恵とは、人間の方から未知なるものを学び、覚え、理解することであり、知識、教養、学問の世界です。そして知恵がつけばつくほど偉くなり、賢くなり頭が上がってきます。

 しかし仏さまの智慧とは、仏さまの方から私を照らし、めざめさせ、心の闇を破ってくださる働きですから、仏さまの智慧に遇えば遇うほど、私の愚かさ、恥ずかしさ、罪業の深さに気づかされ、頭が下がるばかりです。

 仏法は、知識・教養・学問の世界ではありません。今まで見えなかったこと、気づかなかったことを仏さまの智慧によって、気づかされ、めざめさせてくださるのです。

 人間は知恵がつけば偉くなり、賢くなるので頭が上がり、仏法を聞く耳がなくなってきます。素直に仏さまの教えに耳が傾けられなくなります。

 しかし、「実るほど頭を垂るる稲穂かな」ということわざがあるように、どんな社会の人でも本当に学問や人格が備わってくれば、自分の愚かさ、小っぽけさに気づきとても謙虚になってきます。自分の知恵や力に頼り、自分一人の力で生きていると思いあがっている間は、頭が上がるばかりです。すぐに善人づらをして、善人づらしていることさえ気づきません。

 あるお寺の掲示板に、「賢くなることを教える世の中に、自分の愚かさを気づかせる教えこそ人間の道である」という言葉がありました。現代は本当に賢くなることを教え、知恵がついてきた人が増えてきて、かえって人間の心がますます荒廃してきたようです。それ故、自分の愚かさを教える仏さまの教えに、素直に耳を傾けたいものです。

『聞法(1993(平成5)年7月15日発行)』(著者 : 不死川 浄)より