沿革

頭を下げると頭が下がる

 あるカレンダーに、「頭を下げながら人を見下げている。自是他非の心がぬけぬから」という言葉がありました。自是他非とは自分が是で、他人が非であり、自分が良くて他人が悪いということです。頭を下げるということと、頭が下がるということとは全く違います。頭を下げるということは、自分の都合、ハカライ(我執)なのです。本当は私の方が正しいのに仕方がないから頭を下げるとか、あの人に今度世話になるから頭を下げるとか、あの人は上司だから頭を下げておこうとか、頭を下げなかったら自分の立場を悪くするための我執にもとづいた行為なのです。そして頭を下げながら人を見下げていることもよくあります。

 しかし頭が下がるということは、私の都合、ハカライではありません。素晴らしいものに出遇って感動した時や、私を生かさせてくださるものに感謝した時、「おかげさま」と頭が下がり、また私の恥ずかしさ、愚かさに気づいた時、「おはずかしい」と頭が下がります。

 頭が下がるとは、「おかげさま」、「おはずかしい」というお念仏のはたらきなのです。「南無」と頭の下がる時、私の恥ずかしさに気づき、「阿弥陀仏」と私を支え生かさせてくださる働きにめざめた時、おかげさまと喜べます。お念仏は、私たちに温かい人間らしい心を引き戻してくださるのです。

 また「仏ニタノム」と「仏ヲタノム」ということも一字違いですが全く違います。「仏ニタノム」とは、まだ私が中心であり、私の力の足りないところを仏さまの力にタノムということです。

 しかし「仏ヲタノム」とは、自分の力では助からないことに気づき、すべて仏さまにまかすことであり、仏さまがどこまでも中心なのです。「仏ニタノム」とはまだ私が中心ですから、頭を下げても素直に頭が下がりません。しかし「仏ヲタノム」とは、阿弥陀さまに私のすべてをまかせるのですから、ただただ頭が下がるばかりなのです。

『聞法(1993(平成5)年7月15日発行)』(著者 : 不死川 浄)より