沿革

おそだて

 甲斐和里子さんは、「私は歳をとって外面はいよいよ不細工になってゆくけれども、内面の心根の方は老いるに従って少しずつマシになってゆくように思われます。そういうと人は苦笑されるかもしれませんが、何といわれても私は若い時より歳をとった今が少しマシになったように感じられるのです。人間が少しずつでもマシになるということはただごとではありませんが、これもひとえにお念仏のおはたらきです」とのべられていました。

 皆さんは如何でしょうか、歳をとって外面は悪くなるのは当然ですが、内面の心根の方は少しマシになったでしょうか。私も以前家内に恐る恐る聞いたことがあります。「結婚して15年以上たったが、結婚した時と今と、少しは人間がマシになったか」と。「ちっとも変わってない」と言うかと思っていたら、「少しはマシになった。ちょっとは人の気持ちがわかるようになった」と言ってくれました。

 お念仏に生きる人生、お浄土への道を歩む人生とは、日々の歩みの中で阿弥陀さまに育てられ、少しずつ見えなかったことが見え、気づかなかったことに気づかされて成長してゆくことだと思います。そしてその歩みは、いくら歳をとっても80歳になっても90歳になっても、いのちある限りいよいよ深められて、いのちを輝かして生きていくことができるのです。人生に余生ということはありません。80なら80の人生、90なら90の人生があると思います。

 ある90歳のお婆ちゃんが「み仏のこよなき愛に恋をして抱かれて生きるいのち尊し」と歌われていました。また榎本栄一さんに、「としをとることも喜びだ、今までわからなかったことが少しずつわかってくるから」という詩がありますように、与えられたいのち、いのちある限りお念仏を申しながら、輝かして歩みたいものです。

『聞法(1993(平成5)年7月15日発行)』(著者 : 不死川 浄)より