沿革

お浄土への道

 迷いとは、進むべき道を見失っているということです。よく電話で、「お寺へ行きたいのですが、どの道を行けばいいのですか、迷っています」と話されています。進むべき道がはっきりすれば、生きる方向が定まります。私たちの人生、どの道を歩むことが、悔いなく力強く歩める道でしょうか。仏教は、生死(迷い)をこえていく道を教えていますが、仏教の中でもさまざまな道があります。どの道が私にふさわしい道かを知るには、私の現在地を知ることが必要です。

 「進むべき道がわかりません。迷っています」という方に、私は「現在地はどこですか」を聞き返します。現在地がわかれば進むべき道を指示することができるからです。
  仏法を聞くとは、阿弥陀さまの光に照らされ私自身の姿、即ち現在地が明らかになると同時に、阿弥陀さまが、私たちの進むべき道を指示してくださっていることが明らかになるのです。

 私は安心して迷える道、安心して間違えてもいい人生の道を進みたいです。迷ったらいけない、間違ったらいけないと力んで生きる道はとてもしんどいし、疲れて長つづきしません。また自分の思い通りにならなくても悔いなく生き、私がこの人生に生まれて良かったと心から思える人生の道を歩みたいです。

 二河白道の譬に、限りなき煩悩によって苦しんでいる旅人が、前にも進むことができず、後ろにも下がることができず、またとどまることもできない状態の中で、お釈迦さまが「汝ただ決定してこの道を尋ねて行け」と示され、阿弥陀さまが「汝一心正念にして直ちに来たれ」と私たちにお浄土への道を歩みなさいとよびかけられています。このお浄土への道を歩む人は、霊やタタリの迷信に振り回されることもありませんし、いくら私が間違っても、間違うことのない阿弥陀さまが私の生きる依りどころとなってくださっているから安心です。「この道より我を生かす道なし」です。どうか皆さまと共にこのお浄土への道を歩みたいものです。

『聞法(1993(平成5)年7月15日発行)』(著者 : 不死川 浄)より