沿革

お育てをうける

お育てをうける 私が私になるために 人生の失敗も必要でした
むだな苦心もほねおりも悲しみも
すべて必要でした
私が私になれた今 みんなあなたのおかげです
恩人たちに手をあわせ
ありがとうございましたと
ひとりごと
                     をさ・はるみ

 「お育てをうける」という言葉があります。

 たまにゆっくりした時間があると、今までお世話なった人のことを思い出します。人生の分岐点と思われるときには、必ずと言っていい程お世話になった方々との出会いがありました。

 今から10年ほど前、毎月1回、6年間にわたって私の未熟な話をあたたかく聞いて下さったお寺があります。

 毎月第1木曜日の夜、婦人会の例会に招かれ、16ミリ映画を写したり、お勤めの練習の後、30分ほどの法話をさせていただきます。はじめのうちはきちんと原稿を書いておりましたが、毎月となるとやがて法話の題材もなくなり、一夜漬けの話をさせてもらうのもしばしばです。今思い出しても、恥ずかしくなるような私の話をいやな顔もせず聞いて下さった婦人会の方々には本当に頭が下がります。

 「細く長くおつきあいをさせてもらいます。」との坊守さんの言葉に甘えてながい間育てていただきまし。今でもご法話をするたびにあの頃のことをなつかしく思い出します。

 「弥陀五劫思惟の願いをよくよく案ずるに親鸞一人がためなりけり」

 一人で生きていると思っていた私に、生かされて生きていることを教えて下さった方々の顔を思い出すとき、恩人たちに手をあわせありがとうございましたと、ひとりごと。

『聞法(1994(平成6)年8月1日発行)』(著者 : 西郷 教信)より