沿革

あたりまえ

いい日だ つつじのはなのむこうを 老人が歩いていく
赤ん坊をおぶっている足どりも軽やかだ
右足 左足 右足 左足
あっ 片足でたった おっ 半ひねり
すごいなあ ひとがあるくって
私も前は あんな見事な技を こともなく
毎日やっていたのか

 この詩は星野富弘さんの詩です。星野さんは、群馬県の中学校に体育の先生として赴任したものも束の間、体操の指導中に首の骨を折ってしまいました。それ以来、手足の自由を奪われ9年間の入院生活の後、治らないままに退院することになりました。

 手足が動かないということは、今までの生活のすべてを失うことのように思えました。学校もやめ、恋人も去りました。歩くこともできません。自分で食べることもできません。自分一人では、生きることもできません。絶望の生活が続きました。自分の世話をしてくれる母親や兄弟に当たり散らしたこともありました。死にたいと思ったこともありました。

 しかし、夜があるから朝がまぶしいようにつね失ったとき初めてその価値に気づくことがあります。何気なく動かしていた指、あたりまえのように歩いた足、しかし、眼に見えるよりも、もっともっと大切なものがありました。自分の力だけで生きていると錯覚していた小さな自分が、実は、大いなるものによって生かされていたことに気づかされたのです。私たちがふだんあたりまえのように思っていることが、決してあたりまえではないことを教えてくれています。ふだん何気なく見過ごしてしまいそうな花も、私たちと同じように、一生懸命生きていることを教えてくれます。

 私たちも、自然の中から聞こえてくる声に耳を傾ける心を取り戻したいものです。

『聞法(1994(平成6)年8月1日発行)』(著者 : 西郷 教信)より