沿革

そのうち、そのうち

 ご門徒のお宅へお参りにいってご法座の案内をすると、決まって返ってくる答えが、

「まだ、忙しいので、そのうちに参らせてもらいます。」
「まだ、若いからそのうちに。」
「おばあちゃんが参りますから、私はそのうちに…。」
そして、何年か経ってようやくお参りに来られたと思うと、
「あんなあご院さん、私この頃足が痛くてよう座りませんので、すぐ失礼させてもらいます。」
お寺という所は、どうにもお参りしにくい所のようです。

 このことはご門徒に限ったことではなく、お寺に住まいさせてもらっている者にも同じことがいえます。

 仏法を聴聞することで、自分が偉くなるのだったら誰もがこぞってお寺参りをするのでしょうが、聞けば聞くほどわが身の愚かさが知らされるのですから、他人の評価だけを気にしながら生きる現代人にとってあまり魅力的ではないのかも知れません。

そのうち お金がたまったら
そのうち 家でも建てたら
そのうち 子供から手が離れたら
そのうち 仕事が落ちついたら
そのうち 時間のゆとりができたら
そのうち そのうちそのうちと
できない理由をくりかえしているうちに
結局は何もやらなかった
空しい人生の幕がおりて
頭の上に淋しい墓標がたつ
そのうち そのうち 日が暮れる
いまきたこの道かえれない。   相田 みつを

  私はどこから来てどこへ行くのでしょう。

 求めるのは今しかありません。

『聞法(1994(平成6)年8月1日発行)』(著者 : 西郷 教信)より