沿革

熊はんと御隠居が読む阿弥陀経:その3

   「ところで、その阿弥陀というのはどんな仏さんなんだっか。」

御隠居 「それや、それや。熊はんも時にはええこと聞くやないか。阿弥陀さんのことは、このお経を読んでいくうちにわかってくるやろうけど、それよりも、だいたいお経というのはな、今の熊はんみたいに、誰かが質問することから始まるんや。ところがな、この『阿弥陀経』は誰も質問してないのに始まるんやな。」

   「誰も質問してへんことが、そんな大事なことなんでっか。」

御隠居 「そやな、まあ、ゆうてみると、お釈迦さんが勝手に説き出したお経ということで、こら言い残したらあかんと思わはったことを説かれたんやから、大事なお経になるな。」

   「はあー、そうなんでっか。」

御隠居 「そうなんや。せやから阿弥陀経の事を無問自説経というて、親鸞聖人は大事なお経とされたんや。」

   「親鸞聖人?またややこしい名前出てきましたな。何ですそれ。」

御隠居 「熊はんと話してたら、なかなか前へ進まんな。けど、何でもわからんことを聞くのはええことや。」

   「で、親鸞聖人て何でんねん。」

御隠居 「熊はんとこは、門徒やいうてましたやろ。」

   「そうです。門徒、門徒て昔からいうてきましたわ。あれ、扉のことですやろ。」

御隠居 「何でもわからんことを聞くのはほめといたげるけど、スカタン聞くから困ったやっちゃな。門徒いうのは、浄土真宗の人を指していうてんねん。」

   「なんやそうだっか。せやけど、その浄土真宗と親鸞聖人と、どう関係ありますねん。」

御隠居 「その浄土真宗を開かれた方が親鸞聖人なんや。」

   「なんやそうだっか。ほな、次いきまひょか。」

御隠居 「せっかちなやっちゃな。そしたら、本文(ほんもん)を読んでいきましょか。」

   「へっ?お経にも、ほんもんやにせもんがあるんでっか。」

御隠居 「そやないがな、仏教の読み方では本文(ほんぶん)と書いて、ほんもんとよむんや。」

   「そうだっか。そんなん、ゆうてもらわんとわからんわ。」

御隠居 「確かに、そやな。こんなこと解ってるもんと思って話すほうと、聞くのん恥ずかしいから解った振りして聞いてるもんがいるから話がややこしなるんやろな。気いつけなあかんな。」

   「そうでっせ。」

『聞法(1995(平成7)年9月1日発行)』(著者:義本弘導)より