沿革

熊はんと御隠居が読む阿弥陀経:その11

御隠居 「聞き手のことだけで、えらい長い話になってしもうたな。」

熊   「そうでんな、けど、お経というのは聞き手の顔ぶれだけでも深い教えがあるんでんな、わて感心しましたわ。」

御隠居 「ほんまにそやな。そのことがわかっただけでもえらい進歩やな。こうやって読んでみると、なんぼでも考えさせられることがあるもんやな。さて、いよいよ、どんなことが説かれてるんか、読んでいこか。」

熊   「そうでんな。ああここからでんな。あーあるある。いきなり、さっきゆうてた『長老舎利弗』がありまっせ。『爾時仏告 長老舎利弗 従是西方 過十万億仏土 有世界 名曰極楽』となってまんな。」

御隠居 「そや、ここでいきなり、お浄土がどこにあるかということをゆうたはるんや。ここから西に、十万億仏土過ぎたとこに世界があって、そこを極楽というということや。」

   「ああ、わて知ってまっせ。この前新聞に、十万億仏土の距離を計算した人がおると、出てましたわ。えーっと確か、十京光年やったと思いますで。十京て0が17並んでましたわ。光年というのは光が1年かかって進む距離でっしゃろ、それでその先生は、結局お浄土は心の中にあるんや、ていうたはりましたなあ。」

御隠居 「そんなこと新聞に出てたか。それで熊はんは、どう思うんや。」

   「そうでんな、お浄土が心の中にあるとしたら、なんで、お経に西方といわれてるんでっしゃろな。」

御隠居 「それや熊はん、ええこと言うやないか。心の中やったら、西方てなことゆわんでもええはずやわな。せやのに、わざわざ西方てゆうたはるな。」

   「そうでんがな。」

御隠居 「これはな、私の人生の方向といのちの帰る場所があるということを、西で表わしてくれはったんやろな。」

   「はあー、そうでっか。けど、なんで西でないとあきまへんねん。東も北も南もありまっせ。」

御隠居 「熊はんがおかしがるのも当然やな。西という字はな、鳥が巣の上で休んでる様子を表したもんやと聞いたことがあるんや。鳥は、お日さんが沈むころに巣に帰るやろ、そんなとこから、西というのは、全てのもんの帰りつくとこということやし、安らぎを表わしてるんやろなあ。」

   「そうだっか。そういや、秋に夕日を見てたら、なんや寂しい気もするけど、落ち着きますわなあ。」

『聞法(1995(平成7)年9月1日発行)』(著者:義本弘導)より