沿革

熊はんと御隠居が読む阿弥陀経:その12

   「次のとこに、『其土有仏 号阿弥陀 今現在説法』てありまっけど、今、現在説法してるって、阿弥陀さんがでっか。」

御隠居 「そや、そのことは、お浄土の様子のとこで、出てくるやろうから、今は置いとこか。」

   「ほな、その次でんな。また舎利弗とありまっせ。ほんまによう出てきまんな。」

御隠居 「そうやな。ここでは、お釈迦さんが舎利弗に尋ねたはるんや。舎利弗よお前はどういうわけか知ってるかというてな、次々と5回も尋ねたはるんやで。」

   「そら、舎利弗さん、大変でしたな。それで、ここではどんなこと尋ねられはったんでっか。」

御隠居 「なんで、阿弥陀さまのお浄土を極楽というかわかるかと尋ねはったんや。」

   「もちろん舎利弗さんは答えられまへんねやろ。」

御隠居 「そやな。せやから、お釈迦さんが自分で、阿弥陀さまのお浄土にいる人達は、もろもろの苦がのうて、もろもろの楽を受けるから極楽とゆうやと答えたはるんや。」

   「もろもろの苦て、どんなもんなんでっか。」

御隠居 「それはな、七高僧の6番目の源信和尚が、『往生要集』というお書物の中に、四苦八苦やというたはるな。」

   「四苦八苦いうたら、生老病死と、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦のことでっか。」

御隠居 「よう知ってたな。」

   「へえー、この前、お寺に行ったら、そんな話してはりましたわ。」

御隠居 「それを覚えてたとは感心やな。それで、どういうことやねん。」

   「へへへ、それは…。」

御隠居 「なんや、それではあかんやないか。四苦八苦をな、一言で言うと、自分の思い通りにならんという苦しみや。」

   「それやったら、極楽というのは、なんでも思い通りになるんでっか。」

御隠居 「そういうことになるな。あっ、熊はん、又よからんこと考えてるんちゃうか。残念ながら、極楽に生まれるということは、煩悩が無くなったということやから、今考えてるようなことは考えんようになるんや。それで、どんななるかは、この先読んでいったら、わかるわ。」

   「御隠居はんにかかったら、かないまへんな。」

『聞法(1995(平成7)年9月1日発行)』(著者:義本弘導)より