沿革

熊はんと御隠居が読む阿弥陀経:その16

   「御隠居はん、極楽には池があるていうたはりましたな。」

御隠居 「そや、あるで。」

   「そしたら、水もあるんでっか。」

御隠居 「ああせや、言うのん忘れとったな。その池の水ゆうのんがな、八功徳水というてな、8種類の功徳のある水なんや。」

   「そうでっか、そしたら、裏のおとらばあさんが、お浄土へいったじいさんが、喉乾かしたらかわいそうやゆうて、毎朝お茶をお仏壇にあげたはるけど、あんなん、いらんこってすな。」

御隠居 「そういうことやな。もしかしたら、そのじいさん、かえって迷惑しとるかもしれんで。」

   「そんなら、門徒はお仏壇に水を供えまへんのか。」

御隠居 「いや、そんなことないで、華瓶てゆうてな、花瓶の小さいのんに、青い葉っぱを差してんのん、見たことあるやろ。私とこも、そうなってるさかい、一遍見てきてみ。」

   「ああ、ありまんな、けど、それやったら、お茶でもよろしいやんか。」

御隠居 「いや違うんや。あれは、香水というて香りの水をお供えしてますんや。」

   「そうだっか。わてはずっと、あんなんでは、仏さん飲むのん不便やなて思てましてん。」

御隠居 「さて、水のことは、そのくらいにしといて、その池にはな、蓮の花が咲いてるんやけど、それが、青色の花は青い光を、黄色の花は黄色の光を、赤色の花は赤い光を、白色の花は白い光を放ってて、ええ匂いがしてるんや。」

   「それがどんな意味になってるんだっか。」

御隠居 「極楽というところはな、みんなが平等なんや。けどな、平等というても、みんな同じということやないねんで。」

   「それ、どういうことでんねん。平等てみんないっしょになることやないんでっか。わての子供のとき、兄貴のほうが小遣い多い、そんなん不公平や、平等にしてくれいうて、ようおっかあに文句ゆうてましたで。」

御隠居 「そやな、普通はみんな同じになるんが平等やと思うてるな。けど、そうなったら一人ひとりの持ち味がのうなってしまうで。振り向いたら、みんなおんなじ顔やったら気持ち悪いで。」

   「そうでんな、だれがだれやわからんようになりまんな。」

御隠居 「極楽の花がそれぞれの色を持ちながら、光を放ってるのはな、色というのはそれぞれの個性を表しているんや。それが光り輝いてるというのは、その個性を精一杯発揮できるということや。それで、光というのは、いろんな光が集まると無色透明になるんや。つまり、個性が最大限生かされながら、平等やということを極楽の花で表して下さってるんや。」

   「そうだっか。この世の中もそうなったらよろしおまんなあ。」

御隠居 「せやな。」

『聞法(1995(平成7)年9月1日発行)』(著者:義本弘導)より