沿革

熊はんと御隠居が読む阿弥陀経:その18

   「極楽ちゅうとこは、毎朝、お勤めすんのが楽しなんのは、解りましたけど、それだけでっか。」

御隠居 「いや、それだけやないんやで。極楽では、様々なことが仏法を楽しむ縁になるんや。」

   「例えば、どんなことがあるんでっか。」

御隠居 「そやな、極楽には色んな鳥がいると、説かれててな。」

   「どんな鳥がおるんでっか。」

御隠居 「白鵠、孔雀、鸚鵡、舎利、迦陵頻伽、共命鳥がでてるな。」

   「孔雀、鸚鵡は知ってまっけど、後のんは、わかりまへんな。そやけど、変でんな。」

御隠居 「なにがや。」

   「せやって、そうでっせ。前に、お説教聞いてたら、お浄土は迷いを越えた場所やから、地獄、餓鬼、畜生の苦しみを受けることはないんやて、ゆうたはりましたで。せやのに、鳥いうたら畜生でっしゃろ。極楽と浄土て違うんでっか。」

御隠居 「熊はんは、時々えらいことをいうな。確かにせやな。極楽と浄土は同じことや。せやのに、鳥がおるというのは、おかしいこっちゃな。それはな、お釈迦さんが、この鳥たちは悪いことをした報いで鳥になったんとちゃうというたはるんや。」

   「ほな、なんでおるんでっか。」

御隠居 「そらな、私らは鳥を見て、かわいいなと思い、鳴き声を聞いたらええなと思うやろ。」

   「そうでんな、鳥のさえずりを聞くと心安らぐというか…。」

御隠居 「そやそやそれや。その私らの気持ちに応じて、阿弥陀さまが姿を変えて、仏法を説いて下さるんや。そよ風で木の葉が揺れる音さえも仏法を説くんやな。」

   「へえー、葉っぱの音て、がさがさとしか聞こえまへんけど、それが仏法と説く音に聞こえるんでっか。」

御隠居 「そうや、まるで、いっときに百千種類もの音楽を奏でてるような響きなんや。」

   「せやけど、そんなんうるさいでっせ。」

御隠居 「それがな、うるそう感じへんのが、極楽ということなんや。それどころか、その音を聞くと、自然に仏さまを敬う気持ちになるんや。」

   「そうすると、極楽というのは全部が仏法ということになりまんな。」

御隠居 「そうやな。こうまでして、私らにお浄土に往きたいと思わせようという阿弥陀さまの願いなんやろうな。」

『聞法(1995(平成7)年9月1日発行)』(著者:義本弘導)より