沿革

熊はんと御隠居が読む阿弥陀経:その20

   「ところで、なんで阿弥陀と名付けられたんでっか。もしかしたら、阿弥陀くじが好きやったからでっか。」

御隠居 「これ、また、そんなことを言う。せやけど、阿弥陀くじの由来が阿弥陀さまにあると聞いたことはあるけど、その話は今は置いとこ。それでな、阿弥陀というたらな、インドの言葉でな、ミタというのは、量るということで、量を表わしているんや。」
熊   「アはなんでんねん。」

御隠居 「アというのはな、否定する言葉なんや。つまり、無量ということや。」

   「ただでっか。」

御隠居 「ちゃうがな。量ることがでけへんということや。」

   「何を量ることがでけへんのでっか。」

御隠居 「アミダの後には2つの言葉が続いてるんや。」

   「2つてなんです。」

御隠居 「1つはアーバーとゆうて、光明と訳すんや。もう1つはアーユスとゆうて、寿命ということや。」

   「ほー、すると、光明無量、寿命無量ということになるんでんな。で、それがどないしましたんや。」

御隠居 「どないしましたやないねんで。これは、阿弥陀さまのお慈悲に限りないことを表わして下さってるんやで。」

   「そんなことやったら、となり村のお薬師さんのお坊さんも、うちの仏さんは光明無量、寿命無量やていうたはりましたで。どこの仏さんもおんなじなんでんな。」

御隠居 「おまはんは、知らなあかんことは知らんのに、知らんでもええことはよう知ってるな。そやけど、おまはんの言うとおり、どんな仏さんも仏というからには、みんな光明も寿命も限りなんや。けど、阿弥陀さんは、ただ限りないということではないんや。おまはん、そこんとこ読んでみ。」

   「ここでっか。『舎利弗 彼仏光明無量 照十方国 無所障碍 是故号為阿弥陀』となってまっせ。」

御隠居 「そや、そこに『照十方国 無所障碍』となってるやろ。それは、十方の国を照らして、どんなものにも、さえぎられることがないとゆうことなんや。」

   「それにどんな意味がありまんねん。」

御隠居 「光がさえぎられるもんに、どんなもんがあると思う。」

   「そうでんな、たてもんの中とか壁の後ろとか、眼つぶっても、さえぎられまっせ。」

御隠居 「そうやな、眼に見える光やったらそうなるけど、阿弥陀さまの光明は、智慧の光明で、私らの煩悩にもさえぎられることなく、私の姿を照らしだし、私らの罪悪を明らかに気付かせてくださるんや。」

   「そこが、ほかの仏さんと違うとこでんねんな。」

御隠居 「そういうことや。」

『聞法(1995(平成7)年9月1日発行)』(著者:義本弘導)より