沿革

熊はんと御隠居が読む阿弥陀経:その23

   「この前、極楽には鳥がいてると、御隠居はん、話したはったけど、ほかにはなんにもいてまへんのんでっか。」

御隠居 「そやそや、鳥しかいてへんかったら、お浄土へ行ったって淋しいことやろなあ。けどな、そんな心配はいらんねんで。」

   「そんなら、べっぴんさんがいて、お酒飲んで、どんちゃん騒ぎできまんのんでっか。」

御隠居 「前にもいうたやろ、極楽の楽ちゅうのは、そんな楽しみの楽ということやのうて、仏法を楽しむことができるという…。」

   「わ、わ、わかってまんがな、そんなむきにならんでもよろしでっしゃないか。」

御隠居 「わかってんねんやったら、何回も話さしはんな。それでな、阿弥陀さまの極楽には、数限りない声聞のお弟子がおられるそうや。」

   「ほれ、また訳のわからん言葉を使わはりまっしゃろ。その声聞て何ですねん。」

御隠居 「声聞というのはな、声を聞くと書いてるように、阿弥陀さまのお説教を聞かれて、その仏さまの教えを聞くことを生涯の道とされている人のことで、それはそのまま、私らにそういう生き方をしなはれと勧めてくれたはるんやで。」

   「そうだっか。仏さまの教えを聞く生き方て、そんなによろしいんでっか。わてら、そんなに聞いた事ありまへんけど、しっかり生きていけまっせ。」

御隠居 「それはな、ほんまに求めなあかんもんを、ほったらかしにしてることなんや。熊はんは、しっかりていうけど、しっかりてどういうことなんや。」

   「毎日、食うて、寝て、仕事して、たまにはちょっと遊んで、人に迷惑かけることもおまへんし、しっかりしてまっしゃないか。」

御隠居 「熊はん、それで一生終わって、満足出来るやろか。」

   「さあ、どうだっしゃろな。けど、今は元気で出来てまんねんから、よろしおますやろ。」

御隠居 「そこや、熊はん。今は元気やてゆうてられるけど、病気になったら、どないすんねんな。」

   「そこでんがな、どないしたらよろしいんやろうなあ。」

御隠居 「前にちょっと、四苦という話をしたん、覚えてるか。」

   「はあ、お釈迦さんが説いてくれはった、人間の根本の苦しみでんな。確か、思い通りにならんということを苦と言わはったんでしたな。」

御隠居 「よう覚えてたな。四苦というのは生老病死の四つやったな。」

   「そうです。」

御隠居居 「この四つの苦しみを超えていく教えが仏教なんや。」

   「どうやって超えるんでっか。」

御隠居 「それを、わしにまかせというてくれはったんが、阿弥陀さまや。その喚び声がお念仏なんや。せやから、お念仏するということは阿弥陀さまが解決してくれはった答えを聞いていくことなんや。」

   「そうすると、お念仏することが、仏さまの教えを聞く生き方となりまんな。」

御隠居 「そいうことや。」

『聞法(1995(平成7)年9月1日発行)』(著者:義本弘導)より