沿革

熊はんと御隠居が読む阿弥陀経:その24

   「お浄土に声聞という人らがいたはるということは、わかりましたけど、ほかにはいたはりまへんのでっか。」

御隠居 「せやな。あとは菩薩がいたはるな。」

   「菩薩ゆうたら、あの観音菩薩てゆうようなもんでっか。」

御隠居 「これ、ゆうもんと言う人は、ないやろう。」

   「へえ、すんまへん。それでどうだんねん。」

御隠居 「観音菩薩もそうやけど、菩薩という方はな、ほかの人を救うことを一生懸命しゃはることによって、自分も悟りを開いていこうとしたはる方や。」

   「それやったら、声聞よりも偉いでんな。」

御隠居 「なんでや。」

   「それはでんな。声聞いうたら、仏さんの教えを聞いたはるだけでっしゃろ。そのこと思たら、菩薩さんはほかの人を救おうと働かれるんやから、菩薩さんのほうが偉いことになりますやろ。」

御隠居 「ああ、熊はんのいうことも最もやけど、声聞も菩薩も、阿弥陀さまとおんなじ悟りを開いたはる方なんやで。せやから、どっちが偉いなんてことはないんや。」

   「そうだっか。そんなら、なんで声聞とか菩薩ていわなあかへんかったんでっしゃろな。」

御隠居 「そうやな、お浄土、極楽とゆうても、本来は悟りということやから、私らには、とらえようない境涯なんや。せやからな、阿弥陀さまの悟りを、そのままお釈迦さんが説かはっても、私らにはわかるわけないし、そこに生まれたいとも思わんやろうな、けど、それやったら、阿弥陀さまが仏さまになられた意味が無くなってしまうやろ。」

   「阿弥陀さまが仏さまとならはった理由ていうたら、私らみんなを救いたいということでしたなあ。」

御隠居 「そやったな。それにはな、私らがお浄土へ生まれたいなあと思えないとあかんからな、阿弥陀さまはそこで御苦労されて、今まで読んできたようなお浄土を建立されたんや。」

   「なるほど、声聞や、菩薩というても、わてらがわかるようにという阿弥陀さまのご苦労でしてんなあ。」

御隠居 「そういうことや。さあ、これでこのお経の前半部分ていうてもええ、お浄土の荘厳の話が終わりや。」

   「はあ、さよだっか。そんなら、次に行きまひょか。」

御隠居 「そうしよか。」

『聞法(1995(平成7)年9月1日発行)』(著者:義本弘導)より