沿革

熊はんと御隠居が読む阿弥陀経:その25

御隠居 「ここからはな、阿弥陀さまのお浄土に生まれる道を明らかにしてくれはったとこなんや。」

   「御隠居はん、いきなりなんですねん。どこでっか。」

御隠居 「ほれ、そこに『又舎利弗』とあるやろ。」

   「え、御隠居はん、『又舎利弗』ていうても、ぎょうさんありまんがな。どこです。」

御隠居 「ああすまん、すまん。そこのとこや。」

   「ええーと、ああ、『又舎利弗 極楽国土 衆生生者 皆是阿鞞跋致』てゆとこでっか。」

御隠居 「せやせや、そこのとこや。」

   「御隠居はん、お浄土では潮干狩りする親子がいるんでっか。」

御隠居 「おまはんは、また変なことを言い出すやろ。どこにそんなこと書いてるんや。」

   「ほれ、ここに、『貝でああばっち』てありまっけど、これ、子供をおこってんのとちゃいまんの。」

御隠居 「そら、『皆是阿鞞跋致』ていうて、阿鞞跋致とはな、前にもゆうたと思うけど、お経の言葉の中には、中国語に訳しにくうて音に漢字を当てはめたもんもあるんや。これもその一つで、不退転や、不退て訳されることもあるな。」

   「不退転ていうたら、ころころ変わることでっか。」

御隠居 「ちゃうちゃう、退かんという意味なんやで、つまり、仏さんになることに決まってる菩薩は、どんなことがあっても、迷いの世界には戻ってまうことがないということや。なんでそんなことゆうんや。」

   「なんでてゆわれても困りまっけど、政治家がよう不退転という言葉を使てまっしゃろ、せやから、ついころころ変わることかと思てしまいましてん。」

御隠居 「なるほどな、そういわれるとそうやな。軽々しく不退転を使わんといてほしいもんや。ここでは、お浄土に生まれる人はみんな、仏さんになることに決まった不退転の人々やと、お釈迦さんは、ゆうたはるんや。」

   「へえー、それやったら、お浄土に生まれるだけで仏さんになることが決まるんでっか。」

御隠居 「そういうこっちゃ。それを一生補処の菩薩ともゆうんや。けど、親鸞聖人はここんとこを、もっと深く読まれて、お浄土に生まれたら、そのうち仏さんになるんやのうて、生まれたらすぐに仏さんになるのんが、お念仏の教えなんやといわれたんや。」

   「なんでそんなことになりまんねん。」

御隠居 「お念仏に出遇うということは、阿弥陀様の一人働きによって、私が仏さんにならせてもらうことやねんから、今がすでに、お浄土の菩薩方とおんなじ立場やねんでと、ゆうてくれたはるんや。」

   「へえー、わてらには、もったいない話でんな。けど、つくづくお念仏に出遇えてよかったなあと思いまんな。」

『聞法(1995(平成7)年9月1日発行)』(著者:義本弘導)より