沿革

熊はんと御隠居が読む阿弥陀経:その30

御隠居 「いよいよ、終わりの方になってきたな。ここからは、流通分ていうて、今までお釈迦さんが説いてくれはった、お念仏でお浄土に生まれていく道をみんなに勧められるところなんや。」

   「どんな風に勧めてくれたはるんでっか。」

御隠居 「ここでお釈迦さんは、舎利弗に最後の問いを言われるんや。やっぱり、『於如意云何』と、舎利弗おまえはどう思うと尋ねたはるんや。」

   「それで、舎利弗はんは、ただ黙って聞くばかりでしてんな。」

御隠居 「そいうことやな。お釈迦さんが、どうしても説いておきたいと思わはったとこやから、ただただ聞くばかりやったんや。」

   「それでその話の内容はどんなんでっか。」

御隠居 「このお経を、なんで一切諸仏に護念せらるる経と名付けたわかるかと尋ねはったんや。」

   「護念ってなんでっか。」

御隠居 「護念ゆうたらな、ひらとういうたら、護られてるということなんや。」

   「何が何に護られまんねん。もうちょっと丁寧にゆうたりなはれ。」

御隠居 「何偉そうにゆうてんねんな。これはな、ひたすら名号を聞き、お念仏する人は、一切の仏さまがたが、護ってくれはるから、一切諸仏に護念せらるる経と名付けるんやと言うたはるんや。」

   「それで、護念て、どういうことなんでっか。」

御隠居 「何を聞いてるんや。せやからな、念仏する人を、諸仏がつきっきりで、念じ護られることなんや。それでな、念仏申す人生を送る人は、どんなことがあっても、必ずお浄土へ迎え取られていくことになるんや。」

   「あっ、摂取不捨ということでんな。」

御隠居 「ああ、ようわかってるやないか。そのとおりや。阿弥陀さまのお救いに摂め取られたら、どんなことがあっても捨てられることがないんや。」

   「阿弥陀さまが、わてらにはたらきかけ、お浄土に生まれたいと願わして、その願いを持つものを必ずお浄土へ迎え取られるのでっから、これほど、簡単な教えはありまへんな。」

御隠居 「ところがどっこい、そうはうまいこと、いかんようになってるんやな。ここに、『難信之法』てあるやろ。」

   「ああ、ありまんな。これがどうしたんでっか。」

御隠居 「難信の難は、むつかしいということやろ。けどな、ここでは、単純にむつかしいとゆうたはるんとちゃうんや。自力の事をゆうたはるんやで。自力のはからいがある限り、このお念仏の教えというのは、難信なんや。けどな、その自力のはからいを取ってくれはるのが、阿弥陀さまのはたらきなんや。」

   「阿弥陀さまのお働きを、この身一杯に受けているんでんなあ。そやなかったら、お念仏なんかするような人間やなかったですわ。」

御隠居 「ほんまにそやなあ。」

『聞法(1995(平成7)年9月1日発行)』(著者:義本弘導)より