沿革

ともに

 浄土真宗における、基本的な人間関係に関する姿勢は、自利利他円満ということでありましょう。

 自利というのは、自分がさとりを開いて仏になるということであり、利他とは他をさとりに到らしめる。つまり、すくうということで、それらが別々のものではなく、自らのさとりが、そのまま他のいのちのすくいであり、それがまどかに(欠けるところなく)できあがっているということであります。

 要するに「南無阿弥陀仏」のことでありまして、今、私がお念仏を聞かせていただくことができるようになったのは、どれほどの方がたのお育てのおかげであるかということに気付き、私一人のすくわれて往くことを喜ぶという、自分のカラにとじこもるのではなく、みんなが本当に喜べる生活こそが、私も本当の喜びの生活であるという、我・人ともにという生活のありように気付かせていただくことが大切であります。

 灰谷健次郎さんの、『ひとりぼっちの動物園』という本の中に、次のような詩が載せられています。

  あなたの知らないところに いろいろな人生がある
  あなたの人生が かげがえのないように
  あなたの知らない人生も またかけがえがない
  人を愛するということは 知らない人生を知るということだ

 誰でも自分の人生は、何よりも大切でかけがえがない、とは言いますが、同じかけがえのない“いのち”を、私だけではなく、みんなそれぞれに生きているのです。

 お念仏の内で生まれ、育てられて、お念仏にささえられて生きる人びとを、親鸞聖人は「御同朋・御同行」と、手を合わせていかれました。

 人に手を合わされたのではなく、すべての“いのち”に、ひとしくはたらいて下さってある「南無阿弥陀仏」に手を合わされたのであります。

 ややもしますと、自分さえよければ・・・・・・と、自分のカラにとじこもり、自分のことだけを思う、一人ぼっちの淋しい人生を歩みそうになりますが、共にお念仏の大道を歩ませていただける喜びを、一人でも多くの人と、分かち合いたいものです。

『聞法(1996(平成8)年7月15日発行)』(著者 :小林 顯英)より