沿革

おこたりなく

 「若きは老いたるを送り、盛んなる者のおとろえを葬うのは、道理なるに似たれども、世は必ずしも然るべきにあらず。」

 「無常」つまり、すべてのものは常に移り変わっており、ひとときとして同じ状態が続いたりはしない。若い者が年配者の、元気な者がおとろえている人のおとむらい(葬式)をするのが当然のように思っていても、それさえ思い通りにはならないものであるということを教えて下さってあるお言葉です。

 私の知り合いに、小学生で脳腫瘍や心臓病で子どもを亡くされた方、小児ガンで治療法も充分にわからず・・・・・・というお方があります。

 お話しをお伺いするほどに、かける言葉すらなくなってしまい、自分の非力さ、無能さを、思い知らされることがたびたびあります。

 お釈迦様の遺言が、「諸行は無常である。怠りなく励めよ」であると教えていただきましたが、それこそ、この人生、いつ、何があっても何の不思議もないのですから、いのちを大切にするということは、一日一日を本当に大切にし、今なすべきことを、今自分にできることを、自分なりに、精一杯させていただくことの大切さを、お示しいただいたお言葉であると味わっております。

 誰に代わってもらうこともできず、いつ何がこの身におこるかわからない・・・・・・。こんな不安の中では、全力を出し切る生き方など、望めるはずもありません。

 誰に代わってもらうこともできないこの人生を、共に生きて下さる如来様がましますのです。いつ、何がおこってもおかしくない人生ですから、あなたが忘れていても、私は決して忘れたり、見捨てたりはしないと、誓い、はたらいて下さっている如来様がましますのです。

 私の人生の根底から、この“いのち”のすべてをささえ、どんなことがあっても、決してあなたを見捨てることはない、あなた自身弱い存在なのだから、あてにせよ、頼りにせよ、よりかかれ、あなたの人生の、つえとも柱ともなろう、あなたの“いのち”をいかし切ることができなければ、阿弥陀とは名告らぬ、と常にはたらいて下さっているのが「南無阿弥陀仏」であります。

 安心の場があってこそ、今とここを本当に活用でき、精一杯生きることができます。そのままで引き受けた、安心せよの喚び声、大切に聞かさせていただきたいものです。

『聞法(1996(平成8)年7月15日発行)』(著者 :小林 顯英)より