沿革

遇えてよかった

 最近披露宴で「法話」や「挨拶」をさせていただくことが、増えてきました。ここ数年少々は変わりますが、基本的には同じ話をさせていただくことに決めております。

 親は子を選ぶことができず、子も親を選ぶことはできません。きょうだいもしかりであります。家族という人間関係において、選び選ばれてできたのは、夫婦という人間関係だけであります。

 地球上に約58億の人間がいるとして、その半分が男で、半分が女と単純に考えてみますと、この夫婦は、お互いに29億の中から選び、選ばれたのであります。結果的には、そういうことでありますので、夫婦とは29億分の1より選んだという、実にまれな、まさに偶然の出遇いであります。

 このように、出遇いはまさに偶然でありますが、悲しいことに別れは必然であります。さまざまな別れがありましょうが、私の死ということによって、否応なしに、すべてと別れねばならないのです。

 「必ず別れなければならないのですが、その別れの時に、あなたに遇えてよかった。あなたのおかげでいい人生でありました。有り難うございました。この度はお別れしますが、またお遇いしましょう。」と別れることのできるお二人に育ってください。と、私はこのように話させていただくのです。せっかくの出遇いを無駄にしていただきたくないのです。決して、この世のご縁だけで終わるのではなく、またお遇いしましょうと別れる。つまり同じお念仏の中で、共に生活をしていただきたいと願っているのです。

 『仏説阿弥陀経』に、「倶会一処」とお示しをいただいておりますが、倶はともに、会はあう、一処はひとつところでありますから、ともに1つところで会う。これがお浄土であるとお示し下さっているのであります。

 同じ阿弥陀如来様に育てられている仲間、同じ南無阿弥陀仏のはたらきによって育てられ、南無阿弥陀仏のはたらきによって帰らさせていただく世界でありますから、同じところへ往くのであります。ですから「倶会一処」であって、自分で行くなら、行く先はバラバラになってしまうのです。

 決して「さよなら」と別れて終わりになってしまうのではなく、またお遇いしましょうと別れることのできる場が開かれてあります。ここにこそ、本当に遇えてよかったという、慶びを分かち合うことのできる人生が開かれるのです。

『聞法(1996(平成8)年7月15日発行)』(著者 :小林 顯英)より