沿革

ひろい

 私は最近、講義や試験の担当を受け持つことがあります。試験問題を作り、○×をつけたり、レポートや提出原稿のチェック、面接・・・・・・というように消化しながら、ついさき頃気付いたことがあります。

 それは、いつでも良いところを見出して、点数を積みかさねて合格点に達せさせようというのではなく、マイナス面ばかりを見つけ、減点をしている自分に気が付いたのです。

 よく考えてみますと、試験を担当する以前より、私の目は、まわりの人の欠点、アラ探しばかりをしていたような気がします。彼には、こういう欠点もあるが、こういう長所があり・・・・・・と見るのではなく、良い人ではあるが、これとこれは欠点だから・・・・・・と減点法で、自分の都合よく評価をしている私がいるのです。

 こんな私のありように気付きますとき、阿弥陀如来様のおすくいを、「弘誓」というお言葉でお示しを下さってあることに、有り難さと同時に、驚きを感ぜずにはおれません。弘誓の弘は、ひろい。つまり、無条件ということです。条件が多いほどせまいということですし、~より比べてひろいではなく、「ひろい」とお示しをいただいているということは、何の条件もつけない、「そのまま」すくうと誓って下さってあるのです。

 人間の世界では、入学試験にせよ、入社試験にせよ、採用する側が、自分にとって都合のいい条件をさまざまにつけ、合格・不合格がいかに合理的であるかを、アピールするのですが、いずれにせよ、無条件というわけにはいきません。

 阿弥陀様は、なぜ無条件のすくいを誓われたのでありましょうか。答えは明白です。自分中心にしか生きていない、自分さえよければ・・・・・・という生き方をし、言い訳さえできれば、誰に対しても恥じる心を持たないこの私、いや、「これが人間というものだ」などと、悪い意味で開き直っているようなこの私に、一つでも条件をつけられたらどうでしょう。まっ先にもれてしまうのが、この私なのです。

 どんな条件であっても、いつでももれてしまう私。この私を捨てることができずに、無条件のすくいを、「南無阿弥陀仏」と完成して下さり、そのままで、すべて引き受けたから、安心してまかせよと喚びかけて下さっているのです。

  子の罪を 親こそ憎め 憎めども
  捨てぬは親の なさけなりけり

 先生より教えていただいた歌ですが、よく味わってください。

『聞法(1996(平成8)年7月15日発行)』(著者 :小林 顯英)より