沿革

仏の命令

 南無阿弥陀仏とは、阿弥陀仏に南無します、信順します、帰依しますということですが、私が南無するということは、仏の方から南無させる働きがあるから南無するのです。私たちが真実を求めようとすることは、必ず真実からの働きかけがあるからです。


 それ故、親鸞聖人は、南無とは帰命ということで、帰命とは「本願招換の勅命」と教えられています。それは阿弥陀仏の方から、「阿弥陀仏に南無せよ」、「我にまかせよ」と命ずる喚び声であるということです。勅命とは仏の命令ということですが、私たちが否定しても否定できない、頭が下がらざるを得ない真実そのものであり、その真実の命令に従うということが、阿弥陀仏に南無しますということです。


 しかし私たちは、なかなか仏の命令に従おうとしません。私たちの日常生活は何の命令に従って生きているのでしょうか。ほとんど自分の煩悩の命令に従って生きているのです。煩悩の数は多いですが、とくに三毒の煩悩といわれる貪欲・瞋恚・愚痴に振り回されて生きています。もっと楽がしたい、金持ちになりたい、出世したい、いい学校に入りたい、長生きしたいとか欲望の満足を求めて生きています。そして自分の思い通りにいかないとすぐに腹をたて、争い、憎しみ、愚痴をこぼして虚しい日々を過ごしています。


 私たちにとって煩悩は死ぬまでなくすことはできません。また押さえようとしてもなかなかできるものではありません。私たちの日暮らしは煩悩の命令に従って生きていますが、この人生思い通りにいくはずはありません。一寸先は闇です。いつ逆境におち入るかわかりません。この煩悩の命令だけに従った人生は虚しいんです。淋しいんです。私たちに虚しい人生を送らせないために、真実の世界から「真実にめざめよ」と働いているのです。お念仏に遇うことによって、煩悩に振り回されない、煩悩を超えた人生を歩ませていただくことができるのです。

『聞法(1996(平成8)年7月20日発行)』 (著者 :不死川 浄)より