沿革

摂取不捨

 ご門徒の法事の席で、こんな質問を受けました。「阿弥陀如来は、どんな極悪人でもお念仏一つで救われると聞きましたが、本当ですか、どうも納得できません。」

 この問いに対して私は、「阿弥陀如来は、どんな極悪人でもお念仏一つで必ず救うと誓ってくださっています。もし見捨てられたら阿弥陀とはいえないのです。たとえば親にしても、出来の良い子悪い子といます。出来が悪いからといって見捨てることはできません。出来の悪い子ほど心配です。出来が悪いからといって見捨ててしまえば親であることを放棄することです。悪いことをしたことは許すことはできないが、どうしても見捨てることはできないのです。阿弥陀如来は、どんな悪いことをした人にでも見捨てることなく、「阿弥陀仏に南無せよ」、「真実にめざめよ」と喚び続けてくださっているのです。」と答えました。

 親鸞聖人は阿弥陀を何故、阿弥陀というかといえば、「摂取して捨てないが故に阿弥陀と名づける」と教えられています。たった一人でも見捨ててしまったら阿弥陀といえないのです。

 もう大分前になりますが、大阪で銀行襲撃事件がありました。行員と警官三人を殺し、行員を人質にして立て籠もっていた時、犯人説得のためにお母さんが呼ばれていました。隙を見て警官が入り、犯人を射殺して病院に運ばれ、お母さんも一緒に病院に行かれました。その時大勢のマスコミの人達も取材に行き、お母さんにマイクを向けると、お母さんはマスコミの人達にこう話していました。「私だけはこの子の味方でいてやりたい」と。この言葉は、悪いことをしたことは決して許すことはできないが、我が子をどこまでも見捨てることはできないという母親の大悲の叫びです。

 私たちも阿弥陀さまの心に気づかず、煩悩一杯の日暮らしをしていますが、その私たちに阿弥陀さまは「どんなことがあっても決して見捨てない」と、南無阿弥陀仏となり喚び続けてくださっているのです。

『聞法(1996(平成8)年7月20日発行)』 (著者 :不死川 浄)より