沿革

念仏の利益

 ご和讃に、「南無阿弥陀仏をとなふればこの世の利益きはもなし 流転輪廻(るてんりんね)のつみきえて定業中夭(よう)のぞこりぬ」とありますように、お念仏をとなえる身になることは、この上ないご利益を賜わるのです。よく浄土真宗にはご利益がないといわれますが、そんなことはありません。人間として生まれ、最高の喜びが与えられるのです。長い長い迷いから解放され、中夭(よう)とは早死にということですが、たとえ早く死ぬことになっても、確かな生の依りどころ、死の帰するところが明らかになることによって、本当に私が私であってよかったと、悔いのない人生を歩み、いのちを輝かせてお浄土へと帰っていくことができるのです。

 念仏して、苦しみがなくなるのではありません。念仏して苦しみをのりこえていけるのです。念仏すると、この苦しみの現実が変わるのではありません。どうにもならぬまま現実が輝いていくのです。

 昨年、富山県のお寺へ布教に行った時、重度の障害者の方が不自由な口で、「お念仏の教えは、こうしなければ救われないというものが何もありません。このままの私がこのままで良かったんです」と、うれしそうに話してくださいました。阿弥陀さまは、私たちに何の条件や注文をつけずに、「あなたはあなたのままでいい」と喚び続けてくださっています。すべての人がありのままの姿で救われていく道がお念仏の教えです。

 お念仏に遇うということは、生老病死するいのちの事実から逃げ惑うのではなく、それを引き受けさせていただく真実の智慧と慈悲を阿弥陀さまからいただくことができるのです。いままで苦であると思っていたことが、真実の眼を開かせていただくことによって、ただいまの身を納得していけるようになり、如来の大悲あるが故に苦しみの中、苦しみをのりこえていけるのです。

 「お念仏したら何かご利益があるのですか?」
 「お念仏申す身となることが最高のご利益です。」

『聞法(1996(平成8)年7月20日発行)』 (著者 :不死川 浄)より