沿革

旅装束は無用です

 命終わって、どこかに旅をするように思っておられる人がおられますね。いわゆる旅装束ですか。実は、お浄土という世界を知らせてもらったわれわれにとっては、命終わってから旅をするのじゃないのです。旅はただ今、今が道中。命終その時が旅の終わりなのです。

 お寺のすぐ近くのじいちゃんが亡くなった時のこと。家の建て方がドアで仕切った形でしたのでお葬式がしにくい。そこでお寺でお葬式をされることになりました。納棺もお寺でということになったのです。

 実を申しますと、納棺勤行という作法があるのですが、そのご縁にあうことはめったにありません。

 お約束の時間、私は本堂の荘厳を整えてお待ちしました。じいちゃんのご遺体が到着しまして、「さっ、それじゃ納棺のお勤めをいたしますから、ご家族のみなさん、どうぞご一緒にお参り下さい」と納棺勤行を始めました。「往覲偈」というお勤めで少し長いんです。「東方諸仏国 其数如恒沙 ……」。

 するとそこにおられた葬儀社の方が「えーただ今から旅装束をいたしますので、ご親族のお方はこちらに来てください」とおっしゃる。

 しまったなぁと思いましたね。はじめに申しておくべきだったと思いましたが、もうお勤めは始まってしまった。どんなことをなさるのだろうかと、ちょっと目を横にすると。

 手っ甲とか脚絆ですね、じいちゃんもう硬くなってなさるもんで、結びにくそうにされている。首にはポシェットを下げて、いや頭陀袋ですか、それに草鞋とか、まさに旅装束をなさるのです。

 で、お勤めが終わって振り向きますと、もう手際よく納棺がすんでおりました。だけど申しておかねばと思いましたね。
「命終わって旅をなさるんじゃありませんよ。もう旅は終わられたんです。この娑婆の縁が尽きたとき、それが旅の終わりです。旅が終わったということは、お浄土の仏さまとなられたのです。お姿はありますよ、亡骸はありますけれど、迷いの世界に旅立って行かれるんじゃありません。もうお浄土の仏さまなのです。」

 納棺される時には、お寺参りをなさるようなお姿がいいですね。式章があれば首にかけて、お念珠を手にされて、それが自然ですよ。魔除けみたいなものは一切無用です。もうお浄土の仏さまなのですから。

 迷いの世界はこの人生が最後です。よかったですね。堂々と娑婆の縁、力なく終わってゆこうじゃありませんか。

『聞法1998(平成10)年9月21日発行』 (著者 :若林 眞人)より