沿革

弔電は誰のため

 お葬式には電報が付き物だと思っておられる人がありますね。考えてみれば電報が緊急の連絡手段であった時代は過ぎ、今では携帯電話にファックス、それにインターネットですからね。現在では結婚式や入学式など、儀式の添え物の感があります。お葬式で電報を読み上げるというのはいつ頃から始まったのでしょうか。遠く離れたお方からの親しみあふれるメッセージと言うより、すっかり政治や企業宣伝の道具になってしまったようです。

 実は、私の町内のお寺さん方はみな、電文を式の間に読み上げることは控えてもらおうということになりました。

 それからしばらくして、あるお葬式でのこと。お通夜の席で、はじめてお目にかかった葬儀社のお方がこんな話をされました。
 「あの、明日のお葬式の打ち合わせを今夜のうちにさせていただいてもいいですか」とおっしゃる。「いいですよ」ということになって、「式次第はどのように」と丁重なおたずねです。
 「それじゃお作法通りにお勤めをさせていただきたく思いますので、最初に『帰三宝偈』を勤めます。そして『三奉請』のあと導師焼香をし、着座してすぐに『お正信偈』を始めますのでこの間で電報は読まないでください」
と申しますと、葬儀社の方が
 「有り難うございます」
と、おっしゃるのです。
 「えっ?何が有り難いのですか」
 「はい、私はちょっと変わった葬儀屋でございまして、今までたくさんのお葬式のお世話をし、たくさんの電報を読ませて頂きましたが、今までに目にした電文には、亡くなったご当人宛のものは一通もございませんでした。喪主さんなり、ご家族なり、ご当家のお方に宛てられたものばかりでございまして、それはそのご当人がお読みなさるべきものではないか。それを暑いにつけ寒いにつけ、ご会葬にかけつけてくださったお方々をお待たせし、わざわざ時間をさいてまで読み上げるものじゃないと考えております。そのことを喪主さんには必ず申し上げるんですが、三分の一くらいのお方はその意味をくみ取ってくださいます。

 もちろん仕事ですから、読めと言われれば読ませていただきますが、今そのことをおっしゃってくださったから、有り難いなと思ったんです」

 思いを共にできる葬儀社のお方がおられるのは心丈夫なことです。お葬式は最後のお別れの儀式です。

 決して宣伝の場では無いはずです。つとめて厳かでありたいですね。

『聞法(1998(平成10)年9月21日発行)』(著者 :若林眞人)より