沿革

焼香順もいりませんね

 この頃、焼香順を読み上げないお葬式が時々あります。お世話をされる方にとって、焼香の順番をどうするかということは結構なんぎなことでしょうね。それが元でトラブルがあったり、苦情を聞かれたりする、そういうことにこだわる人がおられるのでしょう。

 ある時、お葬式の最中に「なんでワシを呼ばんのじゃ」とつかみ合いをなさるほどのことがありました。きっと昔はその順位に重要な意味があったのでしょう。昔は法律に相続権というものがあって、誰が家督を相続するか。相続したものはすべての財産を相続する権利があると同時に、一家のつきあいを果たすという責任がありました。焼香順とは、きっとその家督相続の順位だったと思います。だから誰が先かが問題になったのでしょう。

 今はそういう法律はありません。誰が先であろうと、席の近い人からお焼香をされるといいんじゃないですか。読み上げのないお葬式は厳粛でいいです。むしろ親族の方の深いつながりが伝わってくるようです。代表焼香というのも無くていいですね。会社や組織の宣伝の場のようになるとしたら、なにか違うのではないかという思いがします。

 お葬式にも『お正信偈』をお勤めします。「帰命無量寿如来 南無不可思議光……」ただし、日常にお勤めする時と節が異なります。ほとんど棒読みなのですが、九句目の一句「五劫思惟之摂受」だけは声が高くなり、導師一人が声を出します。そうして次の「重誓名声聞十方」の所からお焼香をする作法になっているのです。多くのお葬式ではマイクの声が長々と焼香順を読み上げて、お勤めはそっちのけです。それよりも、ご会葬のお方々が共に『お正信偈』を唱和される、その中にしずしずとお焼香が続けられてゆく。そんなお葬式にならないものでしょうか。

 「五劫思惟之摂受」とは、阿弥陀さまの五劫という長いご思案がまとまったという意味です。長いご思案とは、あらゆる衆生を皆救わずにはおかないというご思案です。

 お葬式はお別れです。亡きお方に向かって、「あなたは今、阿弥陀さまの五劫という長いご思案に救い取られてお浄土に参って往かれたのですね。私もまた同じ阿弥陀さまのご思案に救い取られてやがてお浄土に参らせていただきます。見送られてゆくあなたも、見送らせていただくこの私も、同じお浄土に参らせていただく。また会える世界をいただきましたね。たくさんの思い出をいただきましたね」と語ってみたいですね。その思いを姿にあらわしたのがお焼香です。ご会葬のお一人お一人が、亡きお方に向かっての主役です。順位は関係ないのですよ。

『聞法(1998(平成10)年9月21日発行)』(著者 :若林眞人)より