沿革

生きてる人間が恐ろしい

 亡くなった人を怖いもののように思っている人がおられますね。それは、死んだ人が怖いと言うより、その姿の上に自分自身の死が投影されているからでしょう。亡くなったお方は恐ろしいですか。

 タクシーに乗りますと、結構話し好きな運転手さんがおられまして、ある時のこと、乗車拒否と言うことが話題になりました。

 「タクシーにはどんなお客さんが乗られるかわからんから大変ですなぁ」
 「うーん、そりゃまあそうですけど、わしら手をあげたお客さんがあったら絶対止めなあきません」
 「ほぉー、そうですか」
 「そらぁ、そうせんかったら、もし会社に乗車拒否の連絡が入ったらどんな事情であろうと、すぐクビですわ」
 「なんと厳しいですなぁ」
 「わしはまだ経験はないけど、運転手仲間ではえらい目に遭うてまっせ」
 「そら怖いこともありますやろな」

と言うような話題になったんです。すると、運転手さんがバックミラーを見ながら、

 「お寺さんはその点よろしいな」
 「何がです?」
 「お寺さんは死んだ人が相手やもん、怖いことしまへんがな」

 なるほど、そうですよ。生きている人間が恐ろしい。煩悩を抱えたこの身ほど恐ろしいものはありません。何をするやらわからんのですから。それなのに、亡くなった人を恐ろしいものにしているのは何なのでしょう。亡くなったお方の知らせを受けると、知らず知らずに理由探しをはじめます。たとえば、高齢の方が亡くなると「そらもう歳やもの」、病弱なお方ですと「そらぁ弱かったからな」、仕事にバリバリ打ち込まれたお方ですと「そらあんな無理を重ねたらしょうがないわ」。

 理由探しを始めるのは、亡くなったお方には当然の理由があって、自分には当てはまらないと思いたいからなのです。そうして死を遠ざけておこうとする。この死を振り払おうとする心が、死者を恐ろしいものにしているのです。

 この娑婆に生きる限りは、必ず終わってゆかねばなりません。何もかも失ってゆかねばなりません。どれ程に死なぬ努力をしたとしても。そのことを身をもって示してくださったお方こそ、亡き人でありました。命終わってゆかれたお姿に接する時こそ、わが命の行く末をあらためて思わせていただく、そういうひとときでありたいものですね。

『聞法(1998(平成10)年9月21日発行)』(著者 :若林眞人)より