沿革

節目を聞く

 私たちの人生には節目というものがあります。若い頃 いや、老いても何回かの転機というべき時期がありますね。

 親鸞聖人のご一生を拝見いたしますと、求道・信心・報謝・処世と四つの大きな節目があったようです。

 聖人は九歳の時にお得度をされ、求道者としての人生を歩き始めるのでありますが、この時代背景、家庭の状況からすれば、出家なされたことは、当時の習慣としては極めて自然であったと思われます。

 道を求める、極めるということは中途半端な気持ちで求めても到達するものではありません。真剣でなければなりません。

 私の息子が三・四才の頃、母親と百貨店に買い物に出かけました。買い物に夢中になっておりました母親が、ふと気が付きますと息子が見当たらない、母親は必死に息子を探す。息子は母親を探しているんですが、とうとう諦めて、一人で百貨店を出て、いろんな人に道を尋ね、道を探し求めながら、お寺に帰ってきました。その顔は真剣そのものでありました。

 道を探し求め、家に帰って安心するには、いろいろの方の教えでたどりつけたのでありますが、息子自身が真剣に道を尋ねたからであります。信号の角にはたばこ屋があり、その道を左へ、そして次の信号を右へと節目節目を聞いて帰れたのであります。真剣に聞くことが肝心であります。

 親鸞聖人は『浄土和讃』で
 「たとひ大千世界に、みてらん火をもすぎゆきて、佛の御名をきくひとは、ながく不退にかなふなり」といわれています。

 火の中でも、水の中でも、飛びこむような気持ちで仏教を聞きなさいとおっしゃっています。

 また蓮如上人も『御一代記聞書』で
 「いたりてかたきは石なり、いたりてやはらかなるは水なり、水よく石をうがつ、心源もし徹しなば菩提の覚道何事か成ぜざらん」
と説かれています。

『聞法(1998(平成10)年9月21日発行)』(著者 :佐々木義信)より