沿革

自力・他力

 求道、道を求める、その道もたくさんあります。何年前か忘れましたが、皆さんがよくご存じの北野 武さん、タレントといっていいか、映画監督といっていいかわかりませんが、十二月三十一日のゆく年くる年のゲストとして出演しておりました。

 禅宗のお寺の修行僧にインタビューをしているのです。「寒くて大変ですネ」というたわいない会話で始まりましたが、武さんが「あなたは何故、ここで修行をしているのですか」と質問をされたのであります。

 修行僧は「悟りを開くためです。街の中では…」と答えています。

 さらに武さんは「あなた一人がここで悟りを開いて、どうするのですか。街の中の人も苦悩、苦しんでいる人がたくさんいるのに……」というところで画面が変わりました。武さんは何をいいたかったのかと考えてみますと、あなた一人が悟りの道を知って生老病死(四苦)を克服し解決するのですか。
「この私はどうなるのですか」と尋ねたような気がいたしました。

 確かに、生老病死の克服の仕方には、色々な方法がありますが、この私にあう教えを求めることが重要なことであります。

 自力聖道門とよばれる道は、この生老病死(四苦)を直視し、肯定することです。その四苦が素晴らしいものだと肯定ができたとき、その死の恐怖から逃れることができるのではないでしょうか。

 他力浄土門とよばれる道は、四苦(生老病死)が一つのものであると見えたとき、初めて、四苦のおそろしさ、こわさというものを克服できるのだと思います。浄土真宗のご門徒は、阿弥陀如来の御胸に抱かれて安らかに日々を送ります。

 私たちは、生老病死を分けて 生はいいもの、死は悪いものだという、こだわりを捨てたとき、阿弥陀如来に一切をおまかせできるのであります。

 あるいは、阿弥陀如来に一切をおまかせしたとき、生老病死を区別して悩む必要がなくなります。

 一つは自力の行き方 死を肯定するという行き方、もう一つは他力の行き方、阿弥陀如来にすべてをおまかせする行き方です。

『聞法(1998(平成10)年9月21日発行)』(著者 :佐々木義信)より