沿革

旅の行き先

 私の娘が小学校六年生のある晩、楽しそうに旅行の用意をしているのです。私は「修学旅行って、そんなに楽しいか」と尋ねると、娘は「そりゃ楽しいで…友達と枕なげをして、朝まで話をするねん」と答えていました。

 「人生は旅」とよくいわれますが、旅の行き先(目標)があるはずです。旅をするのに大事なことは「どこに行って、何をするか」また「何をするために、どこへ行くのか」ということであります。人生の旅はやり直しができません。この命が終わって、期待したほどでなかったから、もう一度という訳にはいきません。人生の真最中にあるものにとっては、まさに一大事の問題です。

 娘も学校の友達と泊まることは一大事なことでしょう。またすべてが、学校側で用意されている所へ往くのですから、安心で楽しい日々があるんです。そしてきれいな景色、みんなと食べる豪華な食事、その他たくさんの楽しいことがあると思います。しかし、よくよく考えてみますと、旅先で楽しく過ごせるということは、帰って往く家庭があり家族があるからです。もしも、旅先で「あなたのお家が火事で焼けましたよ、悲しいことにお父さんが、お母さんが…」と先生から伝えられたとき、旅行は安心から不安となり、楽しみなどありません。私たちの人生も必ず帰って往く浄土があるからこそ、今を生きれるのではないでしょうか。

 ご門徒の方で「ご院さん、私が死んだら頼みまっせ」とよく言われる。私は「何を頼まれたのか」考える時があります。その方は「よい所へ、浄土へ参らせて下さい」とお願いしているのだと思う。しかし都合よい話であります。それも死んだらと念を押して、言っておられます。ご本人が今、人生の旅の真最中であることを忘れ、死んだらお浄土という良い夢を見ています。私の旅の目標は「必ずお浄土に生まれさせていただくにまちがいない身」にさせていただくことなのでありますから、真剣に阿弥陀如来のみ教えを聴聞し、お念仏させていただくことなのです。

『聞法(1998(平成10)年9月21日発行)』(著者 :佐々木義信)より